江川と対照的な形で原が巨人入団
81年の自主トレで原(左)とじゃれあう江川
近年の解説者としての軽妙さだけでなく、
巨人戦テレビ中継の黄金期に躍動した姿からは想像しにくいが、巨人へ入団したばかりの江川は重い雰囲気をまとった若者だった。入団は1979年。プロ入りの経緯が、高校、大学で“怪物”と騒がれてヒーローになった青年を、プロでヒールに変えたのだ。マスコミやファンだけではない。チームメートからも距離を置かれていた。まさに孤立無援。一軍の初登板ではマウンドで深々と頭を下げたが、それだけで風向きは変わらなかった。それでも江川は、1年目は9勝、2年目には16勝で最多勝と結果を残す。だが、これも環境を変えるには至らなかった。
迎えた81年。ドラフト1位で4球団が競合した末に希望していた巨人への入団を果たしたのが
原辰徳だった。江川の経緯とは悲しいほどに対照的な、順風満帆のプロ入りだったが、江川と原は大学からの友人。これで江川は劇的な変貌を遂げる。プロ野球選手も、もともとは野球少年。原の存在が江川を野球少年に引き戻したのか、こどものように2人はじゃれあい、江川には笑顔が増えていった。だが、原は江川に言われたという。
「お前は大変だな。俺はマイナスからのスタートだから、ちょっと笑っただけでもマスコミも騒いでくれる。お前の場合は、そうはいかないからな」
ただ、こうも続けた。
「江川さんは僕が変えたというより、本来の明るい性格が、あのころから出始めたということだと思いますよ」
原の存在が江川を変えた、というのも確かだ。一方、原の観察も決して間違っていないだろう。どちらも真実だが、どちらもすべてを語り尽していないようにも見える。同時に、江川と原のケースに限らず、友人の存在が人生を好転させることは誰にでもあることだ、もちろん、その逆もある。少なくとも、江川は才能だけでなく、友人に恵まれたことは間違いない。そして、何よりも確かなことがある。この81年、江川は20勝で最多勝、防御率2.29で最優秀防御率。221奪三振もリーグ最多の“投手3冠”。勝率.769もリーグ最高で、これらのすべてが江川のキャリアハイで、リーグ優勝の立役者となった江川はMVPにも輝いている。
文=犬企画マンホール 写真=BBM