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週べ60周年記念

中日球場爆弾事件とその波紋/週べ回顧1972年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

球場が騒然と


この試合ではないが、同年のDG戦。打者は長嶋


 今回は『1972年9月11日号』。定価は100円。
 
 1972年8月24日、午後7時15分、中日球場受付に電話があり、中年の男性が押し殺したような声で、
「三塁側スタンドに爆弾を仕掛けた。7時45分に爆発する」
 と言った。すぐ球場本部と球場内の中川署詰所に連絡され、問題の三塁側スタンドを愛知県機動隊15人が捜索。その間、試合は中断された。
 三塁側ベンチにいた巨人選手は一時避難。同時に「緊急事態が発生しましたので、ゲームを中断します。三塁側スタンドに爆発物を仕掛けたとの電話がありましたので、近くの人は避難してください」と場内アナウンスされた。実は警察では「爆発物」という言葉は使わないよう球場関係者に指示していたのだが、そのまま伝えてしまったようだ。

 この後、スタンドは大混乱。グラウンドにたくさんのファンが飛び降りたが、実は逃げた観客は2000人程度。ほか3万1000人ほどは「どうせいたずら」と思って、スタンドに残ったままだったという。
 捜索の結果、危険物は発見できず、予告時間も過ぎたので、8時3分試合再開した。

 当時、球団への脅迫の電話や手紙は珍しくなかったそうだが、大洋に一風変わった投書があった。
「6年も待ったが大洋は優勝しない。別当(別当薫)監督を解任して、即刻青田(青田昇)ヘッドコーチを代理監督にしろ。もし、この要求をのまない場合は球団フロントを殺害する」
 異例なのは内容ではない。この投書の裏に1000円札がつけてあったことだ。
「これをどう処理したらいいのか」
 と困っていた。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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