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週べ60周年記念

人気先行だった荒川堯のミスター・ヤクルトへの道/週べ回顧1972年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

3割20本も見えてきたか


ヤクルト・荒川(中央)


 今回は『1972年9月18日号』。定価は100円。

 かつて(と書いてあったから前年か開幕前か)ヤクルト・三原脩監督がこう言った。
「あれだけいろいろな方向からたたかれたら精神的にゆがんでくるはずなんだけど、荒川にはそんなところがない。年に似合わず、ずいぶん心が練れているんですな」

 荒川堯、早大のスラッガーとして鳴らし、1969年秋、大洋がドラフト1位指名した男だ。しかし、入団を拒否しながら翌年秋に一度大洋と契約したあと、三角トレードでヤクルト入団。1年目の71年は思うような成績が出ず、たたかれた。

 72年も序盤は大不振でファームと行き来をしていたが、6月に一軍定着。7月に入り、打率も上昇した。
 オールスターでも締め切り1日前まで、三塁手部門で巨人長嶋茂雄を大きく上回るファン投票を得たが、もちろん、この時点では長嶋の成績に遥か及ばず、「荒川の票は組織票だ」「実力もないのに長嶋を抜くなんて」と批判される。
 そのあとの長嶋の大逆転は、まるで野球ファンの良識が勝ったかのように言われた。

 この騒ぎには、さすがにおとなしい荒川も、
「組織票だなんて。僕はあの得票1つ1つに温かいファンの誠意を感じています。だいたいファン投票なんてファンの意思で決まるものです。僕の力でどうすることもできない」
 と憤ったという。

 球宴後、打撃が急降下した長嶋に対し、荒川は変わらず打ち、8月29日時点では打率.282、16本塁打としていた。
「規定打数には届かないと思いますが、なんとしても3割は確保したい。ホームランは20本。今シーズンそれを達成できたら、もう1つ上のレベルを狙える。2、3年たったら僕のでっかい目標を監督さんも認めてくれるでしょう」
 と荒川。
 そのでっかい目標が長嶋超えだ。
「長嶋さんは僕が一番尊敬している人です。すべてにおいて最高の野球人です。しかし、同じ三塁手として僕がナンバーワンになるのは長嶋さんを抜かなくてはならない。何回跳ね返されるか分かりませんが、抜ける日まで何回でもぶつかっていくつもりです」

 8月16日の巨人戦(後楽園)で13号を含む3打数3安打と打ちまくった際には
「プロ野球全体のために長嶋さんがダメになったら僕が」
 と発言したが、これに対して三原監督は、
「何をバカなことを。そんなことはもっと実績をつくって、誰が聞いても納得するようになってから言うべきだ。入団したてのルーキーじゃないんだから、インタビューではもっと地に着いたことを言え」
 とたしなめる一幕もあった。

 では、また月曜に。

<次回に続く>

写真=BBM
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