「苅田の後に苅田なし」
当たり前のことだが、プロ野球は人間と人間の対決だ。戦う相手は敵チームの選手だけではない。審判も強敵だ。21世紀に生まれた若いファンにも、2006年の第1回WBCを見たことがある人は多いだろう。このときほどの露骨な“誤審”は少ないものの、審判も人間である以上、感情に支配されてしまうこともあるだろうし、そうでなくとも、間違うことは必ずある。むしろ、試合を有利に進めたい選手たちにとって、冷徹な判定であればあるほど、審判を強敵に感じるものかもしれない。
こうしたケースのほうが、単なる誤審よりも多いように思える。ただ、選手も人間。スポーツマンシップを脇に置いたようなトリックプレーで誤審を誘いたくなるのも人情というものだ。現在のプロ野球にはビデオ判定もあるため、やってみたところで徒労に終わる可能性も高いが、アウトをセーフに、セーフをアウトにするようなトリックは次々に繰り出されていた時代も長かった。
そんなトリックの中でも、野手が走者にタッチしていないのにタッチした音を出してアウトにする、いわゆる“空タッチ”と呼ばれるプレーを得意とする選手は、昭和の時代までは少なくなかった印象がある。もちろん失敗に終わったことも多かったというが、もしかすると“空タッチ”の音に差があったものかもしれない。この“空タッチ”で球史に名を残すのが、プロ野球が始まった1936年に東京セネタース(のち合併を経て消滅)でキャリアをスタートさせた苅田久徳だ。
タッチが間に合わないと走者にヒザを当て、口か自分のユニフォームをこすってタッチの音を出したという。その余裕があればタッチも間に合いそうな気もするが、これで審判がアウトと判定したのだから結果は同じだ。ただ、苅田はトリックプレーだけで名を残した選手ではなく、「苅田の後に苅田なし」とも評された伝説的な名二塁手。“空タッチ”も音だけでなく苅田の卓越した守備に対する審判の高い評価を背景に、タイミングなどの視覚も噛み合わせた“総合芸術”だったのだろうか。
いずれにしても、一体どんな音だったのか。まずは音だけを聴いてみたい。そう感じるのは筆者だけではないはずだ。
文=犬企画マンホール 写真=BBM