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大洋・青田昇代行がじゃじゃ馬イズムでチーム改革?/週べ回顧1972年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

それでも続くよ、連敗は……


松原誠に打撃指導する青田(コーチ時代)


 今回は『1972年9月25日号』。定価は100円。

 別当薫監督が休養し、青田昇が監督代行となった大洋ホエールズ。監督人事とは関係ないが、翌年からニットのユニフォームへの変更が決まっており、この日(いつかは不明)は試作品が何着も入った段ボール箱が練習に持ち込まれ、選手たちに試着してもらい、感想を聞いていた。
 従来品よりピッタリしたモデルらしく、デザイン以前の段階で、スリムな体型の若手に好評、おなかの出たベテランには不評だった。

 本業は今一つで、連敗の泥沼にはまっていたが、それでも青田イズム、じゃじゃ馬イズムは出していた。
 8月31日、代行の依頼を受けると午後にはコーチ会議を招集し、不振が続いていたベテラン・近藤和彦への二軍打撃コーチ就任、要は現役引退勧告をした。
「本人に引退の潮時を考えさせ、きっかけをつくってやることも大切だ。もし本人が希望するなら、他の球団がほしいなら喜んでトレードに出してやる」
 さらに先発予定の平松政次が肩痛と胃痙攣を理由に先発を拒むと、即座にファーム落ち。
「やる気のないやつはいらん。今年はエースだろうと四番だろうと、ファイトのないヤツは全員トレードだ。覚悟しておけ」
 と記者たちの前で宣言した。

 逆に新しい選手も次々使った。
 相模原市役所からテストを受けて入った高木好一ら5人を一軍に上げ、高木は9月2日のプロ初出場でいきなり一番打者。これも青田とのこんなやり取りの末と言う。試合前の打撃練習中だった。
「おい、右のカーブは打てるか」
「打てます」
「ポジションはどこがいい」
「レフトが」
 実際、レフトスタメンに入り、1打席目で左中間二塁打を放った。

 投手も1日の高垣義広、2日の松島英雄もプロ初先発。さらに3日に救援に使った倉橋寛は南海を首になった後、電気修理工、ダンプの運転手、牛乳配達、ガソリンスタンドと仕事を転々とし、前年テスト入団した選手だった。打撃投手としての採用とも言われ、これがプロ初登板だった。

 青田は言う。
「勝つか負けるか2つしかない勝負の世界でこせこせと闘ってみみっちく勝っても仕方がない。負けるときはいさぎよく玉砕しよう」
 大洋の場合、いずれは大功労者の秋山登を監督にというのが規定路線としてあり、青田代行も「秋山でも誰でも次の監督がやりやすいようにいろいろ試している」と言っていた。
 ただ、そうであってもこの連敗は想定外だったようだ。
「普通なら監督が休養したりすると勝つもんなんだが、うちの連中はインテリが多いせいか実に冷静だな」

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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