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現在は絶滅寸前? 古田敦也、亀山努、初芝清…印象に残る眼鏡姿の名選手とは?

 

 現役では数えるほどしかいない「眼鏡をかけてプレーする選手」の中で、最も実績を残しているのが中日山井大介だ。度の入ったサングラスがトレードマークの山井は、2013年にはノーヒットノーランを記録。2014年には最多勝と最高勝率の二冠を達成している。今回は、こうした「眼鏡姿の名選手」をピックアップしてみた。

1990年代は印象深い眼鏡の選手が多かった



「眼鏡姿の名選手」といえば、やはり元ヤクルトの古田敦也が挙げられる。大学時代から目立った活躍を見せていたが、当時は「眼鏡をかけた捕手は大成しない」というジンクスがプロ野球界にあったため、ドラフトでは指名が見送られていた。しかし、社会人野球を経てプロ入りした後の活躍はご存じのとおり。そのジンクスが間違いであることを証明した。


 古田と同じく1990年代に活躍した選手では、元阪神の亀山努も眼鏡がトレードマークだった。眼鏡姿でない亀山は想像できないというファンも多いだろうが、実は眼鏡をかけるようになったのは1992年から(当時は眼鏡姿でない亀山のベースボールカードもあった)。眼鏡をかけたことが功を奏したのか、この年は131試合に出場して打率.287をマーク。果敢なヘッドスライディングも話題となり、新庄剛志との「亀新コンビ」でリーグを盛り上げた。


 ほかにもロッテの初芝清やダイエーの吉永幸一郎、ヤクルトの土橋勝征も眼鏡姿が印象的だった選手。初芝は1995年に年間を通して五番を任され、オリックスイチロー日本ハム田中幸雄と並ぶリーグトップタイの80打点を記録し、自身初の打撃タイトルを獲得した。吉永も同じくスラッガーとして活躍した選手だが、バットコントロールにも定評があり、毎シーズン3割前後の数字を残していた。土橋は粘り強いバッティングが特徴のバイプレーヤー。ここぞという場面での勝負強さも魅力で、1990年代のヤクルトには欠かせない選手だった。

眼鏡姿の助っ人にも名プレーヤーが多くいた



 眼鏡をかけていた助っ人選手には、西武黄金期を支えた一人であるオレステス・デストラーデがいる。1989年途中に西武に加入すると、1年目は82試合の出場ながら32本塁打と活躍。日本の野球に慣れた2年目はさらに成績を伸ばし、最多本塁打と打点王の二冠に輝いている(スイッチヒッターでの本塁打王はNPB史上初)。その後も3年連続で本塁打王になるなど、黄金期の西武には欠かせない名助っ人だった。

ヤクルト・ホーナー


 デストラーデと同じく、「驚異的な打力を持った眼鏡姿の助っ人」では、ボブ・ホーナーも挙げられる。1987年にヤクルトの加入したホーナーは、ケガのため出場は93試合と少ないながらも打率.327、31本塁打と驚異的な記録を残した。この年限りで退団したが、短い時間で鮮烈なプレーを見せつけた往年の名助っ人だといえる。

 助っ人では、中日でプレーしたバンスロー(本名はバンス・アーロン・ロー)も、眼鏡が印象的だった選手だ。メジャーでも実績を残していたバンスローは、加入1年目は122試合に出場し、打率.313、29本塁打、78打点を記録。この年のベストナインに選出されるなど、期待どおりの活躍を見せた。家庭の事情から1年限りで退団したが、チームに残ることができれば、チーム史に残る名助っ人になれる可能性もあった。

 ほかにも、助っ人では元広島ウェイド・ロードンや元日本ハムのマイカ・フランクリン、元西武の許銘傑なども眼鏡をかけていた助っ人。こうして振り返ってみると、眼鏡姿の助っ人は多かった。

 コンタクトレンズが一般的になる以前は眼鏡姿の選手が多くいた。例えば、1リーグ制時代に活躍し、史上2人目となるシーズン勝率10割を記録した御園生崇男。2リーグ時代黎明期では、梶岡忠義や「フォークの神様」こと杉下茂、南海黄金期時代のエース・杉浦忠、パ・リーグ初のMVP選手である別当薫なども眼鏡をかけていた選手だ。

 しかし、視力矯正の技術が向上した現在では、視力の悪い選手はコンタクトレンズを装着してプレーすることがほとんど。このまま技術が進歩していけば、眼鏡姿の選手はいなくなってしまうかもしれない。

文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM

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