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プロ野球回顧録

ロッテ、阪神で日本一に貢献した“突貫小僧”のブレークのきっかけは“食べっぷり”?【プロ野球回顧録】

 

俊足巧打を誇ったプレースタイル


74年には日本シリーズMVP。「僕の前の人が塁に出てくれただけ。ラッキーでしたね」と謙虚


 163センチの小兵ながら思い切りのいい打撃、俊足を生かした走塁、守備でロッテのリードオフマンが弘田澄男だ。74年には日本シリーズMVPにも輝いている。84年阪神に移籍し、同年にキャリアハイの打率.313。85年のVイヤーにも貴重なバイプレーヤーとして存在感を示した。
 
 72年、球界一、二のちびっこ選手として、四国銀行からロッテ入団。銀行員時代は「ソロバンが得意で、手先が器用だったこともあり、札束を数えるのは名人芸だった」という。

 1年目から一軍で71試合に出場し、打率.283と思い切りのいい打撃で注目されたが、ブレークは2年目。きっかけは“食べっぷり”だった。この年、就任した金田正一監督のキャンプ名物は、いつ終わるともしれぬ走り込み。みなバテバテで食欲も落ちるが、金田監督は「選手は食べてナンボや。おいしいものを品数たっぷり作るから、1時間かけてゆっくり食べろ」と指示していた。それでも最初は胃が受け付けない。ほとんどが半分近く残すなかで、投手の八木沢荘六と弘田だけがペロリと平らげたという。金田は弘田の背番号を「35」から「3」に変え、守備位置も本格的に内野から外野にコンバートした。

 センターのレギュラーに定着した73年、7月11日の日拓戦(神宮)でサイクルヒット。当時の打撃は体をひねるだけひねった本人いわく“イケイケ打法”。好球必打で金田ロッテの切り込み隊長となった。

 74年はリーグ優勝に貢献し、中日との日本シリーズでもMVP。第4戦では同点適時打に勝ち越し本塁打、日本一を決めた第6戦でも2対2で迎えた延長10回表に勝ち越し二塁打。打率は4割、打点7の大活躍だったが、実は直前のプレーオフで大不振。「絶対に日本シリーズで結果を出す!」と懸ける思いも強かった。

 翌75年には初の打率3割(.301)で盗塁は35。盗塁は入団から11年連続で2ケタをマークし、最多は80年の41だった。

阪神時代の弘田


 84年阪神に移籍。最初に言われたときは「やめようかと思った。これまでのデータも使えないし、この年齢でイチからできるのか」と悩んだ。しかし、結果的には同年、自己最高の打率.313。「最高のバッティングができました」と笑顔で振り返る。

 俊足を生かした果敢なセンター守備にも定評。73年から5年連続ゴールデン・グラブ賞を手にしている。

「風の計算や音、バットのどの位置でとらえたかなどを見て、守っていました。困ったのが阪神時代。応援がにぎやかで音が聞こえなかった(笑)」

 85年の阪神日本一にも貢献し、87年限りで引退している。

写真=BBM

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週刊ベースボール編集部

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