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プロ野球回顧録

王に被打率.134。南海、阪神で活躍した長身の“変則サイドハンド”江本孟紀【プロ野球回顧録】

 

武器は“エモボール”


阪神時代の江本。長身を生かしたピッチングだった


 188センチの長身と長い腕。それを上からではなく、横から角度をつけることで生かした頭脳派右腕が江本孟紀だ。

 アマ時代は不遇。高知商高3年時には、センバツ出場が決まっていながら部員の暴力事件で出場辞退。夏の県大会出場も許されなかった。法大では監督との確執と、同期に山中正竹という大エースがいたことで出場のチャンスには恵まれなかった。

 熊谷組を経て、71年キャンプ中、ドラフト外で東映入団。1年目はゼロ勝だったが、南海に移籍した翌72年にいきなり16勝。のちヤクルトで流行語にもなった野村克也監督兼任捕手の「再生工場第1号」と言われるが、江本自身は「勝ってないけど、東映時代の後半は翌年から先発でという使われ方。それに野村さんが目をつけただけ。投球内容はまったく変わっていません」と振り返る。

 球速はさほどではないが、独特のカーブと“エモボール”とも言われたフォークが武器。「エモボールはたまたま変な変化をしたときに記者が言い出したんで、『これはもう普通のフォークと言えんな』と(笑)」。以後、先発の軸となり、73年には12勝で南海優勝に貢献。プレーオフでは胴上げ投手にもなっている。

 76年、江夏豊を含む2対4の大型トレードで阪神へ。同年から4年連続2ケタ勝利を挙げている。注目は対王貞治の成績だ。被打率.134は50打数以上対戦した中で一番低い。

「ヒザ元のカーブがききましたね。一度、直球勝負で満塁ホームランを打たれたことがあるんですが、あとはずっと、行くと見せかけて変化球勝負でした」

 巨人にも強く、78年には最下位に終わった阪神は巨人にわずか8勝しかできなかったが、うち7勝が江本だった。

 81年の登板後、「ベンチがアホやから」と首脳陣批判。その責任を取って引退表明した。その後は解説者、タレント、さらには政治家として活躍。著書『プロ野球を10倍楽しく見る方法』は200万部のベストセラーになった。

写真=BBM
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