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勝負強い打撃はどのようにして生まれた? 強気と弱気が同居していた“必殺仕事人”大田卓司

 

ライオンズひと筋18年の現役生活。83年の日本シリーズではMVPに輝いた大田


 勝敗を決する一打を数多く放ち、「必殺仕事人」と称された大田卓司(元西武ほか)。1969年に西鉄へ入団し、80年代前半の西武黄金時代を支えた勝負師だ。西鉄の流れをくむ野武士的な風貌の持ち主で、見るからに芯の強さが感じられた選手。強靭な精神力が、「必殺仕事人」の礎になっていると思っていたが、実際は違った。

 以前、大田氏に話を聞いたことがあるが打席では二面性が顔をのぞかせていたという。不調に陥っても打席に入るのをいとわない。打撃が自らの生きがいと感じ、常に「絶対に打てる」という強気を胸に宿していた一方、「追い込まれたら打てない」という強迫観念にとらわれ、弱気に心を支配されていたそうだ。ゆえに、早いカウントから積極的に仕掛ける好球必打が打撃スタイルとなり、結果的にそれがチャンスでの強さにつながっていった。

 広島で抑えを務め、炎のストッパーと呼ばれた津田恒美は「弱気は最大の敵」を座右の銘としていたが、それも自らの気の弱さを痛いほど分かっていたからこそ、だ。大田も弱気の部分があることをしっかりと認知し、それをプラスに転化させた。強気と弱気がバランスよく同居していたことが、大田を「必殺仕事人」たらしめたのだろう。

 大田にとって、その集大成が1982年の日本ハムとのプレーオフだった。第1戦の8回裏一死満塁で中前に2点タイムリー。第2戦も8回裏二死満塁で再び中前に再逆転の2点タイムリー。いずれも代打で登場し、相手はシーズン中、11打数1安打と苦手にしていた江夏豊だった。大一番で抑えの切り札を攻略し、大田はプレーオフMVPに輝いた。

「このときも追い込まれたら絶対に打てないと考えていたから、その前の甘い球を打つという意識しかなかった。それを力むことなく、センター前へ。強気だけだったら、引っ掛けて内野ゴロで終わっていたかもしれない」

 大田は同年、中日との日本シリーズで優秀選手賞を獲得し、翌83年巨人との頂上決戦ではMVP。強気と弱気が同居していた「必殺仕事人」は、日本シリーズでも無類の勝負強さを発揮した。

 今年のプロ野球も始まったばかりだが、クラッチヒッターがカギを握るシーンは何度もあるはず。その一打に注目していきたい。

文=小林光男 写真=BBM
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