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プロ野球回顧録

V9巨人で“史上最強の五番打者”と呼ばれた末次利光。「ONの後の五番は難しかった」【プロ野球回顧録】

 

勝負強い打撃の左キラー


鋭いスイングで長嶋、王の後を打った。73年の登録名は末次民夫


「五番は難しかった。ONがホームランでも打とうものならいつまでもザワザワして、僕が打とうが、抑えられようが何の反応もない。でも、ONが塁にいて僕が凡打したら大変。球場がいっせいにタメ息ですから」

 巨人V9史上最強の五番と呼ばれた末次利光は、そう言って苦笑いした。鎮西高から中大に進み、立大・長嶋の通算8本塁打の大学記録を塗り替える10本塁打。ただ「神宮第二球場が3本、ランニングホームランが1本あるかわ抜いたわけじゃない」と言う。

 V9初年度の1965年に巨人入団。4年目の68年からスタメンに定着し、71年には王、長嶋の後の五番打者に。ONの後の五番はV9時代の最大の課題とも言われ、川上哲治監督が毎年のように他球団の大物選手を獲得していたが、ついに生え抜きから本命が出たことになる。

 この年、開幕から絶好調。死球による1カ月の離脱があって、規定打席には到達できなかったが、勝負強い打撃も発揮して打率.311。阪急との日本シリーズでは打率.368でMVPに輝いた。左キラーとして鳴らし、巨人が苦手とした阪神江夏豊をカモにした。

 76年にも印象深い一打がある。長嶋監督が初優勝を飾った年、6月8日の阪神戦(後楽園)での逆転満塁サヨナラ本塁打だ。

「0対2で9回裏。王さんが敬遠で満塁になった。僕が打席に入ったときは、ちらほら人が帰り始めていた。ここで左の山本和行。彼はざっくばらんな男なんで、粘っているうちに『えい』と、ど真ん中に投げることがある。予定どおりでした」

 ただし、満塁男の“裏”として、9月7日、同じく阪神戦(甲子園)では逆転負けにつながる満塁一掃のエラーもあった。

 翌77年にはオープン戦の試合前練習で柳田真宏の打球を左目に受け、視力が一気に低下してしまう。

「医者からは野球は無理と言われたけど、すぐ復帰。でも変化球が見えなくて勘で打つしかなかった。日本シリーズも出してもらったんですが、第2戦で二塁打を打ったとき、ああ、もういい、やめようと思ったんです」

 奇しくも柳田は五番打者のライバル。翌年から彼が“史上最強の五番打者”と言われるようになった。

写真=BBM
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