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プロ野球回顧録

魔球習得はキャンプ2日目!? 投手タイトル総なめとプロ野球を席巻した新人・木田勇【プロ野球回顧録】

 

150キロの速球とパーム


細身の体からキレのいい直球を投げ込んだ木田


 社会人野球の名門、日本鋼管で1978年、都市対抗の第49回大会に出場。チームは決勝で同じ神奈川・川崎市に籍を置く東芝に敗れ、準優勝に終わったものの、大会屈指の左腕として注目を集めた木田勇は、敢闘賞にあたる久慈賞を受賞している。

 その年のドラフトと言えば、あの江川卓の「空白の1日」で揺れ、巨人がドラフト会議をボイコットした時。11球団で開催されたドラフトでは、その江川と森繁和(住友金属)、そして木田の3投手に指名が集中した。

 両親が高齢ということなどを理由に、在京球団が希望と伝えられた木田には大洋、広島、阪急の3球団がドラフト1位で指名したが、希望はかなわず、広島が交渉権を獲得。木田は初志を貫き、入団を拒否した。

 翌79年のドラフトは、その木田と岡田彰布(早大)が人気を集める。岡田には6球団、木田には3球団が競合。25歳と年齢的にはラストチャンスと見られた木田は、希望のセ・リーグではなかったが、在京の日本ハムがドラフト1位指名。交渉権を獲得し、入団した。

 プロ入りした木田が得意とした変化球はパームボール。左腕から繰り出される150キロ近い速球とパームボールのスピード差に戸惑った打者は、いたずらに空振りを繰り返した。1年目のこの年、木田が奪った三振は225。このころはまだ、最多奪三振の表彰はなかったが、堂々の1位だ。

唯一逃したタイトルが「優勝」!?


木田のパームボールの握り。人さし指と中指の2本を伸ばすスタイルだ


 ところが、このパームボールはプロに入ってから覚えたものだという。それもキャンプ2日目、植村義信投手コーチに、社会人時代に武器にしていたフォークを否定されその場で教えてもらったのがこのボール。それを武器に1年間、戦った。

 結局、1年間で48試合に登板して22勝8敗4セーブで最多勝。防御率2.28も1位なら、勝率.733もまた1位だった。おまけに新人王とMVPも。つまり、一人の投手として、この年取れるタイトルを、ほとんどすべて木田が獲得したと言っても間違いない。

 優勝を争った近鉄との最終戦にリリーフで登板して敗戦投手をなったため、優勝を逃したことが逆に、唯一木田が手にできなかった“タイトル”と言えるのかもしれない。

 惜しむらくは、その木田の選手生命が短命に終わったこと。翌年10勝に終わると3年目以降は2ケタ勝利を挙げることができず、86年大洋、90年中日に移籍して引退した。

 パームボールの使い手は、小山正明(元阪神ほか)を除いては、ヒジや肩を痛めて短命な選手が多い。木田も例外ではなく、左肩を痛めてしまい、2年目以降、輝きを取り戻すことはできなかった。しかし、その驚異的と言える活躍は、短くはあっても大きな輝きと記憶を残している。

写真=BBM
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