3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 東京スタジアムで機動力野球は可能なのか
今回は『1972年10月9日号』。定価は120円。
ロッテが揺れていた。
9月13日、ロッテ製菓の重光武雄社長が取材を受けた。
──成績不振から大沢(啓二)監督の更迭を考えていると聞くが。
「現時点では決めたわけではない。しかし現在の不振は何とか手を打たなければならない」
──具体的なてこ入れ策は。
「首脳陣の改造、入れ替え。あるいは新戦力の補強などいろいろ考えられる。大沢監督の解任もその一つだ」
さらに中村長芳オーナーが大沢監督と結んだ5年契約について、「早まったと思う」と断言。71年オフ、
江藤慎一、ロペスの放出も、
「知らされたのは決定後だった。あのトレードは明らかに失敗だった」
と言い切っていた。
以前から書いているが、ロッテ製菓は経営難の大毎をサポートしたネーミングライツの会社だった。
援助した大映が撤退後、球団を経営することになったが、重光社長はあまり興味を示さなかった。
ただ、チーム名になっていることで少なからず本社に影響がある。優勝した70年は大きな宣伝効果もあった。今はその逆。重光社長は「不振によって営業宣伝部から突き上げをくらっている」と明かしていた。
さらにロッテは球団経営で年間1億円程度の赤字は覚悟していたらしいが、この年は3億円に膨れ上がると予想され、「重大問題だ」(重光社長)となったらしい。
球団経営については、岸信介元首相の秘書だった中村オーナーに丸投げしていたが、途中から球団代表に元東映代表の石原春夫を置いた。石原は「俺は重光社長の要望で社長になった」と公言して何かと中村オーナーのやり方に口を出すようになっていたという。
中村オーナーは、
「ロッテ本社から大沢監督更迭の話があれば、すぐ打ち消しにいかなければならない」
と話しながらも、重光社長との関係は、
「私と重光社長は一枚岩だ。二人に考えに食い違いがあるわけがない」
と強調していた。
ただ、そもそもだが、大沢監督が掲げていた守備力、機動力重視の野球はどうなのか、という疑問があちこちから出ていた。
成田文男、
木樽正明、
小山正明の三本柱に陰りが見える中、他球場なら外野フライがホームランになる東京スタジアムが本拠地で、それが可能なのか、という話である。
大沢監督の恩師で、元南海監督、
鶴岡一人は言う。
「日本一狭い東京球場だから豪快なホームラン野球が生きるんや。それを機動力野球に変えるのはどうも納得できんのや」
このあたりはたぶんに結果論的でもあるし、逆にこの球場で勝ってきた三本柱の凄みも感じる。
すみません。前回アップした際、
松岡清治の写真に田口周のキャプションが入っており、のち写真を修正しています。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM