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プロ野球回顧録

張本勲が前人未到の3000安打を本塁打で達成「とにかく4つのベースを踏まなきゃいかん、と」【プロ野球回顧録】

 

山口のストレートを狙い打ち


3000安打達成でファンの歓声に応える張本


 打球がライトスタンド照明塔の鉄塔部分を直撃、大きく跳ねた瞬間、ヘルメットを力いっぱい投げ上げ、自身も飛び上がった。通算2998安打で迎えた1980年5月28日、川崎球場の阪急戦だった。第1打席で谷村智啓から右前打を放ち、3000安打に王手をかけたロッテ張本勲だったが、第2、第3打席は凡退した。

 6回裏、第4打席だった。マウンドには、この回から山口高志。張本は、「記録のかかった打席で、山口もかわすピッチングはしないだろう。ストレート、それも初球は甘く入ってくる可能性が高い。多少、ボールくさい球でも思い切って踏み込んで打とう」と思った。

 初球だった。読みどおり真ん中高めの速球に、張本のバットがうなりを上げる。打った瞬間に分かる、文句なしのホームランだった。

「打球がスタンドで跳ねるのを確認した後は、ほとんど記憶がない。とにかく4つのベースを全部踏まなきゃいかんと、それだけだった」

 ホームではベンチ総出で出迎え。打ち上げ花火15発が次々と打ち上げられた。黄金のくす玉が割れ、『3000本安打おめでとう』の垂れ幕。観客席から色とりどりのテープが投げ込まれた。

 故郷・広島から母親も球場を訪れ、スタンドで観戦していた。野球には詳しくないが、3000本まで残り10本と迫ったとき、自分で10個の白い丸を書き、1安打ごとに塗りつぶしていたという。試合後、張本は母の手を取り、グラウンドへ。父親を早くに亡くした張本にとって、母親の存在は大きい。「いつかタンスのひきだしにいっぱいのお金を稼いで、楽をさせてやる」が口癖だった。

 母の肩に手を置き、昼間のように明るい撮影のストロボの光の中で、誇らしげに手を上げた。

イチローに“抜かれた”が……


 3000安打達成で、張本の中には「すべてをやり切った」という充実感が残った。オフには引退を球団に申し出るが、重光武雄オーナーから「チームのためにもう少し」と言われ、1年だけ現役を続行した。翌年引退。通算安打記録は3085本になった。日本球界の最多安打であり、王貞治の868本塁打同様、今後も破られることがないと思われた。しかし、2009年、マリナーズのイチローが日米通算で3085本超えを果たす。

 ただ、これで「張本がイチローに抜かれた」とは言い切れない。時代の違いはもちろん、イチローの場合、日本とメジャーの合計。さらに言えば打者としてのスタイルが違う。張本は504本塁打、1676打点、イチローは日米通算で235本塁打、1309打点。張本が23年で積み重ねた「3085」の輝きは、今後も何ら薄れることはない。

写真=BBM
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