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プロ野球はみだし録

西本幸雄監督、“悲運”の幕開け? “バカヤロー解散”ならぬ「バカヤロー!」解任【プロ野球はみだし録】

 

大毎となって初優勝も……


大毎・西本幸雄監督


 阪急(現在のオリックス)と近鉄を初のリーグ優勝に導いた西本幸雄監督。3チームでパ・リーグ制覇8度も、ついに日本一には届かなかった“悲運の名将”だ。初めてリーグ優勝を経験したのは1960年で、大毎(現在のロッテ)の監督に就任して1年目。いきなりリーグ優勝に導いて手腕を発揮したが、同時に“悲運”の始まりでもあった。しかも、プロ野球の歴史でも類を見ない屈辱的な形で。

 強い悪意を秘めながらも、厚化粧が施された言葉というものは巷間あふれているが、そこまでの悪意はなくとも、言ってはいけない言葉というものがあるらしい。かつて社会か何かの授業で、衆議院の“バカヤロー解散”なるものを習った気がするが、首相の吉田茂がつぶやいた「バカヤロー」の一言で政治の流れが変わってしまったのだから、独り言でも言葉には気をつけねばなるまい。一方、プロ野球で“バカヤロー解任”というべき事件が勃発したのが、この60年だ。“バカヤロー解散”から7年後のことだが、発言の主が追いつめられた解散劇とは対照的に、プロ野球では「バカヤロー!」と言われたほうが退任に追い込まれている。それが西本監督だった。

 発言の主は名物オーナーとして名を残す永田雅一だ。初めてセ・リーグを制した大洋(現在のDeNA)と日本シリーズで激突した大毎だったが、第1戦から3連敗。第2戦ではスクイズの失敗で西本監督の手腕が批判され、第3戦に敗れた後、永田オーナーと西本監督は電話で口論になる。売り言葉に買い言葉、という面もあっただろう。永田オーナーは「バカヤロー!」と言って電話をガチャ。大毎は第4戦でもスクイズの失敗があり、すべて1点差の4連敗で敗退した。西本監督は辞任。解任されたとする資料も残る。いずれにしても優勝監督が1年で退任するのは異常事態だった。

 とはいえ、その手腕までが球界から否定されたわけではなかった。評論家に転じた西本を1年でコーチとして招聘したのが阪急で、それも1年で西本は監督に就任する。阪急が初めてパ・リーグの頂点に輝くのは西本監督の就任5年目となる67年。黄金時代の幕開けだった。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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