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プロ野球回顧録

「ヒットは本塁打の打ち損ない」代打本塁打27本の世界記録を持つ阪急・高井保弘【プロ野球回顧録】

 

一級品の観察眼


投手のクセを見抜く目と抜群の集中力が身上だった高井


 投手のクセを徹底的に観察して作った“高井メモ”を生かし、ひと振りにかける高い集中力で代打本塁打27本の世界記録を作った男が高井保弘だ。

 1964年阪急入団も、しばらく一、二軍のエレベーター生活。当初からバッティングには天才的なものがあり、二軍とはいえ首位打者1回、本塁打王2回、打点王2回を獲得している。問題は一塁しか守れなかったことだ。阪急の一塁にはスペンサー、その後には加藤秀司(のち英司)がどっかり座り、一軍で空いていたのは“代打”だけだった。

 高井の名が世間に鳴り響いたのは、代打ホームランの通算記録でトップに立った74年の球宴。第1戦で代打逆転サヨナラ本塁打をセ・リーグの投手、松岡弘(ヤクルト)から放った。併殺狙いで内角へシュート系が来るという読みどおりの一打だった。

 高い代打成功率の秘密が観察力だ。試合中でも気付いたことがあれば、すぐノートを取り出してメモ。手首の角度、グラブの隙間、ちょっとした仕草、表情の動きなど細部までチェック。ベンチからだけではなく、出番がない試合序盤はネット裏の部屋に行き、隙間から投手を見た。

 翌75年8月27日には世界記録を上回る19本目の代打本塁打。「僕が試合に出るときは試合終盤で同点か逆転のホームランが期待されている場面。だから全部ホームランを狙う。僕の中でヒットになったのはホームランの打ち損ない」。

 ただ、同年からパ・リーグに指名打者制が導入されたこともあり、徐々に先発出場が増え、77年から3年間は規定打席に到達。79年には、リーグ7位の打率.324を残しているが、逆にこの3年の代打本塁打はゼロだった。

 80年以降は再び代打起用が増え、同年3本、81年が4本。最後の代打ホームラン、27本目は81年9月3日だったが、9回裏同点走者なしで起用された際、ベンチに向かって「お前らバットしまっとけ」と声を掛け、サヨナラホームラン。

「自分の体調や相手投手を見てピンとくるときがある。あのときがそうだった」

写真=BBM
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