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伊原春樹コラム

福岡ダイエーで最強だったのは2003年。西武監督だった私は連覇へ自信満々だったが……/伊原春樹コラム

 

月刊誌『ベースボールマガジン』で連載している伊原春樹氏の球界回顧録。2020年11月号では福岡ダイエーホークスに関してつづってもらった。

監督に根本さんが就任すると聞いて


2003年、ダイエーを優勝に導いた王監督


 1988年オフ、南海がダイエーに身売りされ、本拠地も大阪から福岡へ移転すると聞いたとき、やはり驚いた。福岡はもともとライオンズがフランチャイズとしていた地。そこにかつてのライバルだったホークスが行くというのは、何か因縁めいたものを感じたのも確かだ。オーナーの中内功さんも経済界で名を馳せた人物。高い志と強い情熱を持って、球団経営にあたっていった。

 ダイエー元年、南海時代から引き続き杉浦忠監督が率いて4位。翌90年からは田淵幸一さんが監督となった。佐々木誠ら若手も力をつけてきて、徐々にいやらしいチームになってきたことを感じていた。実際に順位も6、5、4位と右肩上がり。このまま田淵監督で行けばいいチームになるのでは……と、そんな状況で田淵さんに代わり監督となったのが根本陸夫さんだった。

 西武の初代監督を務め、81年限りで退任後、管理部長として辣腕を振るった根本さん。多くの有望新人の獲得に尽力し、西武黄金時代を築いた人物の一人だった。西武・森祗晶監督から「根本さんがダイエーに行くみたいだ」と明かされたときは、非常に驚いた。「どの立場になるんですか」と聞き、「監督みたいだ」と返されたとき、その驚きが倍増したことを覚えている。というのも、根本さんの監督としての手腕には「?」がつくからだ。ただ、それと同時に西武と同じく、根本さんには監督としてだけではなく、「選手集め」にも手腕を発揮していくのだろうと思った。

 根本さんより前に、選手やコーチの賭博容疑が相次ぎ、89年に西武から退いた坂井保之さんがダイエー発足と同時に球団代表となっていた。坂井さんも西武初年度から球団代表として先進的な球団経営を進めていた。根本さんと二人三脚を組み、西武黄金時代を築き上げていたが、ダイエーで再びタッグを組むことになったのだ。

 根本さんは監督だけでなく、代表取締役専務も兼任。監督初年度の93年は最下位に終わったが、オフには西武の秋山幸二渡辺智男内山智之と佐々木誠、村田勝喜橋本武広のトレードを敢行した。これには驚いたし、個人的に秋山は二軍時代からコーチとして見てきたから寂しさはあった。ただ、佐々木も92年に首位打者と盗塁王を獲得するなど、素晴らしい選手。さらに村田も91年から3年連続2ケタ勝利をマークしていた右腕だ。西武にとっても大きなプラスになる、と思った。ダイエーにとっても秋山の“経験”が欲しかっただろうし、まさにウインウインのトレードだったのだろう。

 さらに根本さんはFAで松永浩美阪神から獲得。ドラフトでは逆指名で小久保裕紀の入団にこぎつけている。翌94年オフにもドラフトで大学進学が既定路線と思われていた城島健司を1位で指名。さらにFAで西武から工藤公康石毛宏典も引き抜いた。常勝軍団へ着々と地固めをしていったのである。

強力打線にプラスして投手陣も充実の03年


和田毅の加入がダイエー投手陣に厚みをもたらした


 そういえば根本監督初年度からはダイエーの本拠地球場が福岡ドームに(現・PayPayドーム)。日本では東京ドームに続くドーム球場で唯一の屋根開閉式を誇る。その大きな規模に当時のダイエーの勢いが現れていた。グラウンドも広く、フェンスも高い。簡単にホームランが出ることはなく、外野の間を抜ける打球も増えていくから、より一層走塁面の重要性が増すだろうとは感じた。

 92年にはロッテもフランチャイズを川崎から千葉マリンスタジアム(現・ZOZOマリンスタジアム)に移転し、球場も川崎球場から千葉マリンスタジアムになっていた。千葉マリンも川崎球場より広い。逆の視点に立てば、外野守備もよりおろそかにできないということだ。簡単に打球を抜けさせない外野陣を作る必要がある。このあたりから野球がまた変化し、進化していったのだろう。

 95年からは王貞治監督が就任した。王監督は巨人V9の川上哲治監督の王道野球を継承しているように感じられた。そんなに奇をてらうことはしない。驚くような場面でヒットエンドランなどを仕掛けてこないし、ランナー三塁の場面でもよくスクイズを出していた。きわめてオーソドックスな野球だっただろう。

 王監督になってからもドラフトなどで補強を重ね、戦力アップをしていったダイエーは99年に初優勝。その後、安定した強さを発揮していくのだが、一番強かったのは2003年ではなかっただろうか。02年から西武の監督を務めていた私は同年、2位・近鉄、ダイエーに16.5ゲーム差をつけて優勝。私の中にはダイエーとの戦力を見比べて当然、連覇を果たす自信はあった。ダイエー打線は破壊力満点だが、何よりも投手力は西武のほうが上だろうという自信があったのだ。しかし、それが見事に打ち破られた。

 まず斉藤和巳の台頭だ。前年までプロ7年間でわずか9勝、02年には4勝の右腕が20勝の大躍進。しかも、3敗しかしていないから貯金を17も稼いだことになる。角度のあるストレート、そして鋭く落ちるフォークが抜群だった。さらに、この年、自由獲得枠で入団した和田毅、新垣渚の存在だ。特に和田は新人らしからぬ素晴らしい投球を披露した。打者の手元でピュッと伸びるストレートのキレに打者は手を焼いた。変化球の精度も高く、コントロールも良いので大崩れすることがない。この和田が14勝、新垣も8勝をマークしている。2年目の杉内俊哉も前年の2勝から10勝とジャンプアップ。02年は斉藤、杉内が合わせて6勝。それが03年は新加入の和田、新垣を合わせて4人で52勝もしたのだからたまらなかった。

強力打線にプラスして投手陣も充実の03年


城島は攻守、そして走にも意識が高かった“スーパーキャッチャー”だ


 打線もすごい。03年はだいたい以下のようなオーダーだった。

一番・村松有人 .324、6本塁打
二番・川崎宗則 .294、2本塁打
三番・井口資仁 .340、27本塁打
四番・松中信彦 .324、30本塁打
五番・城島健司 .330、34本塁打
六番・バルデス .311、26本塁打
七番・ズレータ .266、13本塁打
八番・柴原洋 .333、4本塁打
九番・鳥越裕介 .212、1本塁打

 小久保がオープン戦で大ケガをし、このシーズンを棒に振ったのに、その穴を感じさせない。井口、松中、城島、バルデスの4人が100打点を超え、パ・リーグの盗塁トップ3を村松、川崎、井口の3人で占めていた。本人にもよく言っていたが、“オアシス”は九番の鳥越のみ。それ以外は強打者、巧打者ぞろいで息をつく暇がなかった。

 ダイエーの中で特に印象に残っている打者といえば城島と松中だ。打てて守れる。城島は本当に“スーパーキャッチャー”だった。打者としては広角に長打を放てるし、追い込まれても簡単にアウトにならない。さらに意外と盗塁を仕掛けてくるのも印象に残っている。相手が無警戒だと感じたら、二盗、三盗を決めることが多々あった。

 捕手としてもリードはもちろん、走者が少しでも塁から離れたら送球。盗塁に対しても、よくウエストして刺してくる。捕球してから送球までが早いし、肩もいい。まったく油断することができない捕手だった。

 04年には平成唯一の三冠王に輝いた松中も穴のない打者だった。印象に残るのは、その内角打ち。体をうまく回転させてボールをスタンドまで運んでいた。簡単にはマネできない技術だろう。長距離砲であるのに打率を残し、三振も少ない。バットを強く振りながら、確実にボールにコンタクトする能力は驚異的だった。

 05年から親会社がソフトバンクとなったが、ダイエー時代の強さは脈々と受け継がれている。現オーナーの孫正義さんも“世界一”を旗印に球団経営を行っている。的確なFA補強をしながら、三軍制もいち早く取り入れるなど、補強と育成の両輪をうまく機能させているのことが、強さが永続的に続いている一端なのは間違いない。西武をはじめ、パ・リーグの球団もソフトバンクに負けないように球団運営をしていってほしい。お互いに切磋琢磨していけば、野球のレベルは自ずと上がり、ファンに質の高い野球を提供することができるはずだ。

写真=BBM
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