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阪神・村山実、最後の登板で巨人が栄光の8連覇を達成(後編)/週べ回顧1972年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

この年も乱入があった……


祝勝会で柴田勲からビールをつがれる川上監督


 今回は『1972年10月23日号』。定価は100円。

 前回の続きだ。
 1972年10月7日、甲子園の阪神巨人戦。
 阪神の先発は「これを現役最後の試合にしたい」とも語り、スタンドに家族を呼んでいた村山実兼任監督だった。
 しかし、巨人打線は容赦なく村山に襲い掛かる。まず、三番の王貞治がライト上段への本塁打。
 父親・村山は鬼気迫る形相で王に投げ込み、打たれた瞬間、ガクンとうなだれたが、スタンドでは長男が思わず笑顔では拍手。実は王の大ファンで、父親には勝ってほしいが、王にはホームランを打ってほしいといつも言っていた。
 しかし、その後、長嶋もレフトのラッキーゾーンに飛び込む本塁打。これには長男もうなだれた。初回巨人は3得点。これがONから村山への送辞にもなった。村山は3回で降板。
「真っ正面から向かっていった。だが力の差はどうしようもなかった」
 試合後、村山は淡々と語ってた。

 対して巨人は先発の高橋一三の後、堀内恒夫を投げさせ、胴上げ投手にさせるプランだったというが、堀内は疲労もあって自ら放棄。結果的には高橋が最後まで投げることになる。
 5対1となった巨人は終盤になってブルペンから選手を引き揚げさせ、川上哲治監督もグラウンドコーチを脱いで胴上げの準備に入ったが、やはりだめだった。
 川上監督は数日前から言っていた。
「甲子園はすぐファンが金網を越えてくるからケガの心配がある。様子次第では胴上げはしない」
 その言葉どおりになった。

 甲子園関係者も8回裏あたりには警備員を並ばせ、警戒していたが、9回裏、阪神最後の攻撃の際は、もう無法地帯になっていた。すでにラッキーゾーンには多くの観客が乱入し、あちこちで金網を乗り越える予行練習をしていた。
 ゲームセットの瞬間、すでにスパイクから運動靴に履き替えていた川上監督が胴上げのためベンチを出たが、すぐあきらめた。
 内外野から大人、子供が巨人ベンチ目指して殺到する。
「案の定じゃ、やめ、やめ、引き揚げよう。はよう行け!」
 笑顔から一転、引きつった顔になった川上監督が叫ぶ。
 王が後ろから帽子を取られ、それを取り返そうと追いかけると、いつの間にか群衆に取り囲まれ、救出に向かった国松コーチと鈴木コーチに殴る蹴るの暴行をした。
 止められなかった甲子園の警備員は、
「予想以上に子供のファンがグラウンドになだれ込んだ。どうすることもできなかった」
 2個のベースが盗まれ、マウンドの上を下駄ばきの大人がうろついていた。
 あとで球場係員が驚いたのがマウンド。少年たちがむらがって土を掘り、マウンドが低くなっていた。
「あれは高校野球からヒントを得てやっているのでしょうか。マウンドが低くなるほど持っていかれたのは初めて。驚きました」(係員)

 記事にはこうある。
「これからのプロ野球では二度と胴上げは見られないと思わせるに十分だった」
 翌年が有名だが、実は乱入は2年連続だったことになる。

 なお、退任がうわさされる村山“監督”の去就については、某スポーツ紙が一面で「留任へ」と報道。16日の重役会議で決定するというが、さて。

 では、あしたは休みなので金曜に。

<次回に続く>

写真=BBM
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