3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 最終戦で大逆転!
今回は『1972年10月30日号』。定価は100円。
まさに奇跡の逆転劇だった。
1972年パ・リーグのホームラン王争いである。
東映・
大杉勝男はシーズン前、
「今年はホームランを背番号(51)だけ打って、来年はこの背番号を3にしてもらうんだ」
と語り、3年連続のホームラン王に意欲を燃やしていた。
言葉どおり、前半戦は打ちまくる。5月には当時の日本記録の月間15本を荒稼ぎし、19号。対して対抗馬に挙げられていた阪急の
長池徳二は故障で大きく出遅れ、初本塁打が5月5日。5月末時点でも本塁打はわずか8本だった。
オールスターまでに27本とした大杉は「3年連続ホームラン王はもらった」と宣言したが、やや足踏みをしている間に上がってきたのが、南海の老雄・
野村克也だった。
「楽にタイトルは獲らしてやらんぞ」など、なにかとチクチク言う野村と大杉の舌戦が話題になったこともある。
2人に割って入ったのが長池。夏場に来て猛烈なスパートをかける。8月に10本塁打で24本、大杉はすでに31本塁打だったが、9月はなんと大杉に並ぶ日本記録の15本塁打。38本の大杉を抜き、39本塁打となった。
しかしその後、故障もあって欠場した長池に対し、大杉は40号を放ち、1本差で10月10日に閉幕。阪急は残り2試合だったが、
「後半の長池さんは立派だった。あれだけ追い上げるのは並大抵じゃない。それに勝った大杉さんはもっと立派(笑)。冗談を抜きにしても本当にここまでよく頑張ってきたと思う。いい経験になったよ」
と勝利宣言。一方でリーグトップの100打点については、この日、残り3試合の野村に並ばれ、あきらめていた。
「これは野村さんのもの。前半ちょっと粗末に打ったのが響いた。来年からはもっと大事に打って行く」
しかしこのあと長池が試合復帰。12日はノーアーチながら最終戦の10月15日の
ロッテ戦(西宮)で2本塁打。ついに逆転でタイトルを手にした。
「考えてもなかったタイトルだけにうれしい。無欲のよさが分かった。心の中に欲がなければ、意外と結果はいいものだ」
と珍しく興奮していた。
では、しばらくGWということで。
<次回に続く>
写真=BBM