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プロ野球回顧録

満塁弾で長嶋巨人初の日本一にも貢献。ケガに苦しみながらも2度の盗塁王に【プロ野球回顧録】

 

90年に初の盗塁王


甘いマスクで女性ファンからの人気も絶大だった


 爽やかな笑顔とひたむきなプレーで人気を誇った巨人のリードオフマンが緒方耕一だ。熊本工高からドラフト6位で1987年巨人に入団。須藤豊二軍監督に指示され、1年目の秋からスイッチヒッターに転向した。持って生まれた俊足を、最大限に生かすためだ。3年目の89年に一軍定着。8月15日の大洋戦(東京ドーム)ではプロ初本塁打をランニングホームランで飾っている。

 選手層の厚かった巨人野手陣にあって、定位置こそつかめなかったが、内外野複数のポジションをこなし、“一番”という打順は譲らなかった。そして90年に33盗塁で初の盗塁王。だが、西武との日本シリーズでは苦い思いをしている。

 連敗で迎えた10月23日の第3戦(西武)。何とか流れを変えようと初回に試みた投前へのセーフティーバントは、きれいに決まったかに見えた。しかしベースの角を無理な体勢で踏んでしまい、激痛が走った。右足首の捻挫だ。

「本当に悔しかったし、情けなかった。1年間、自分なりに一生懸命やってきたものが、一瞬にして吹き飛んでしまった感じでしたよ」

盗塁で重視していたのは思い切り。また、投手のリズムやクセに惑わされず、常に自分のペースで走ることを意識した


 病院に行くと、アキレス腱を痛めていることが分かった。この故障の影響もあり、翌91年の盗塁数はわずか4と激減。2度目の規定打席に到達するなど復活した92年も盗塁数は7。しかし、93年に再び輝きを見せる。長嶋茂雄新監督の方針で、サインが増加。24盗塁を決め、2度目の盗塁王を手にしたのだ。この記録は2リーグ制後、最も少ない盗塁王の数字でもあった。

 94年からは一気に出番が減る。高校時代から悩まされていた持病の腰痛が悪化したことが原因でもあった。スイッチに転向して、一時は腰の状態も上向いていたが、アキレス腱のケガとともに再発症したのだ。それでも、この年の西武との日本シリーズでは、第5戦(西武)で劇的な満塁弾を放ち、長嶋巨人初の日本一に大きく貢献している。結局、最後までこの腰痛が癒えることはなく、98年、30歳の若さで惜しまれながら現役を引退した。

写真=BBM
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