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パンチ佐藤の漢の背中!

「『野球って面白い』と思ってもらいたい」動画制作に携わる元阪神・田上健一氏/パンチ佐藤の漢の背中!

 

阪神時代は2014年の日本シリーズにも出場した田上健一さんは現在、ユーチューブなどで配信されている動画制作の仕事に携わっている。自らも「ウノとパンチの今日もどこかでダイナマイト」というチャンネルに出演中のパンチさんが田上さんのオフィスを訪問し、新しいメディアの将来について語り合いました。
※『ベースボールマガジン』2020年12月号より転載

藤川球児さんからのアドバイスが後押しに


パンチ佐藤氏(左)、田上健一氏


 創価高時代は甲子園に縁もなく、プロ野球選手への夢を抱きながら、創価大進学を決めた。その、高校3年11月。明治神宮大会で、当時創価大4年だった八木智哉投手(のち日本ハムほか)のピッチングを、田上さんはバックネット裏から見つめていた。そこで「大学を経てプロ入りする投手のレベル」を肌で感じ、大学4年間は、さらにプロを意識した練習を重ねたという。

 結果、大学4年時にはNPB4球団から調査書が届いた。ドラフト指名は、阪神の育成2位。大学時代以上に、ハングリー精神をかきたてられた。

パンチ 育成から支配下登録されたきっかけはなんだったの?

田上 1年目(2010年)のキャンプの途中で、一軍に上がりました。そのとき結構調子が良かったこともありますが、キャンプの最初の段階で結果を残していましたから。当時育成で一軍キャンプに参加していたのは僕だけで、藤川球児さんに「支配下になるためには、支配下選手と同じことをやっていてもダメだよ」と言っていただきました。

パンチ よく藤川君がそうやってアドバイスをくれたよね。向こうから、来てくれたの?

田上 はい、アップしているときに球児さんのほうから近づいて来て、「お前を支配下にしてやるよ」と話しかけてくださったんです。「最初のアップのときは、だいたいみんな全力で走らないから。だからアップの前に自分でアップをしておいて、最初の段階でみんなよりバンッと前に出て走ってみろよ。そうしたら目立って、“あいつ、足がすごく速いな”という印象を付けられるから」と。

パンチ キャンプの長い一日、「最初のアップにそんな体力使ってられねえよ」って、みんな思ってるもんね。「シートノックあたりからエンジンかければいいや」って。そこをコーチが見て、「お、なんだあいつ、いいじゃないか」ってことになったんだね。

田上 本当に、そんな感じです(笑)。

パンチ じゃあ、藤川君には感謝だね。

田上 はい、球児さんのアドバイスのお陰で、その年の開幕に支配下登録をしていただきました。

パンチ そこでいよいよスタートラインに立って、次は一軍、と日々頑張ったわけだ。

田上 その年、マートンが新加入したんです。赤星(憲広)さんが引退した直後で、センターがいない状況。そこにマートンが入ったんですが、外国人の1年目は未知数だから、マートンがダメだったら上げるぞと言われていたんです。ところがマートンがシーズン200安打を達成するくらいメチャクチャ打って、なかなか上がる機会がなくて(苦笑)。オールスター前にやっと一軍に上がれました。

パンチ 最初のプレーは覚えている?

田上 神宮で、ライトの守備固めに入りました。最初は「これが一軍か」とフワフワした感じはありましたけど、不思議と緊張はしなかった。打球は飛んでこなかったけれども、すごく楽しかったです。

パンチ 初打席は?

田上 翌日からの甲子園ですね。確かピッチャーのところだったと思いますが、代打で出ました。

パンチ 事前に「振っとけ」って言われた?

田上「(ピッチャーに)回ったら代打を出すから、振っとけ」と言われました。ずっと「打
席があったら初球から振ろう」と思っていて、横浜の小杉(陽太)さんの初球カーブを打ちました。

パンチ 真っすぐを狙っていて、それに反応した感じかな。

田上 僕、真っすぐがくると思っていまして。引っ張って、ライト寄りのセカンドゴロです。1年目はその1打席だけでした。本当は(一軍投手の)真っすぐも見たかったんですが、甲子園で一軍の雰囲気を感じながら打席に立てたのは、たとえ1打席でも得たものがあったと思います。

日本シリーズ出場は一番印象深い思い出


2011年10月19日の横浜戦(甲子園)でプロ初安打をマーク


パンチ プロ初安打はいつ?

田上 2年目です。ずっと二軍だったんですが、秋口ぐらいに一軍に上がって、甲子園で江尻(慎太郎=横浜)投手からレフト前に打ちました。

パンチ やっぱりプロに入ったらヒット1本は打ちたいな、二塁打1本、三塁打1本、ホームラン1本打ってみたいな、お立ち台に1回立ってみたいな、週刊ベースボールの表紙1回飾ってみたいな……ってなってくるよね。

田上 ありますね(笑)。

パンチ そのうちの一つを達成して。やれるって手応えを感じた?

田上 少なくとも守備や足に関しては、一軍とあまり差がないように感じていました。当時はレフトが金本(知憲)さん、センター・マートン、ライト・桜井(広大)さんで。

パンチ みんな、守備の人じゃないもんね。じゃあスタメンでなくても7回になったら俺の出番だって感じでいたんだ。

田上 そうですね。どのポジションも守備固めがあるからって言われて。

パンチ だからいつも言うのはやっぱり、守備なんだよね。ヤクルトの古田(敦也)君だって宮本(慎也)君だってそうだし、井端(弘和=中日ほか)君だってそうだし。守備から入って、バッティングはなんとかなるんだよ。俺は逆で、守備がダメだったんだよね。俺、守備はやっぱりセンスだと思うんだ。バッティングは慣れや練習でなんとかなるもの。さて、プロ生活で一番の思い出はなんだろう。

田上 14年の日本シリーズに出られたことですね。一軍の試合にはシーズン通して出ていたんですが、やはりシリーズは違う盛り上がりでした。

パンチ「足の裏にも心臓があるような感じ」とかよく聞くけれども。

田上 代走で出ただけだったんですが、一番大事な、最後(ソフトバンクの)優勝が決まるかという1点ビハインドの9回表一死一、二塁で(一塁走者の代走に)出してもらえたので、印象に残っています。

パンチ それから満塁の二塁走者になって、キャッチャーから一塁への送球が、打者走者に当たったんだったよね。

田上 西岡(剛)さんの背中に当たりました。僕は二塁から三塁に走っていて、どこにボールが行ったか分からなかったんです。でも三塁コーチャーの高代(延博)さんが「行け行け行け」と。その指示どおりに走って、ホームにスライディングしたら、ボールが返球されていなかったからセーフ、これで同点だと思ったんです。そうしたら、球審がどこにもいなくて(笑)。

2014年の対ソフトバンクの日本シリーズ第5戦の9回一死満塁、西岡の一塁ゴロが一塁手→本塁→一塁と転送。捕手・細川が一塁へ転送した球が西岡の背中に当たり、二塁走者だった田上はホームインするが、西岡の守備妨害でアウト、試合終了に


パンチ 何が起こったんだろうって(笑)。

田上 なんで球審がいないんだろうって思ったら、一塁のほうにいたんです。で、「ホームに還りましたよ」ってゼスチャーしたら、「ホームインは認められない」と言われて……。

パンチ 同点だと思ったら。

田上 そこで上からパーンッと紙吹雪が降ってきて、「ソフトバンク日本一!」と。

パンチ それが5年目だっけ。翌年がプロ生活最後の年になったのは、何があったの?

田上 6年目は開幕一軍で、開幕3連戦にも出場して、とてもいいスタートを切れた年だったんです。ところが右のふくらはぎにデッドボールが当たって、筋断裂してしまいました。結局半年ぐらいリハビリに専念し、終盤には完治して一軍の試合にも出たんですが、戦力外を宣告されました。

パンチ なんでもう1年くらい待ってくれなかったかね。たらればじゃないけど、もう1年あったら完璧に治って走れていた? それとも正直、全盛期の走りはできなかった?

田上 走るのには問題なかったんですよ。だから正直、戦力外とは思わなくて、びっくりしました。

 その後、トライアウトを受けた田上さんだったが、NPB球団から声は掛からなかった。かといって、オファーのあった独立リーグや社会人野球、クラブチームに一度身を寄せ、またNPB復帰を目指す道は考えられなかったと田上さん。

 引退後の生活まで見越せば、社会人野球の一員となり引退後、社業に就くこともできる。だが、それも自分の人生としてはイメージが湧かなかった。やはり、まずは自分のやりたい仕事を探そう。その中で、野球に携わっていこう。そう決意したとき、オリックス球団からスコアラー就任の誘い。田上さんは、裏方スタッフとしてNPBに戻った。

現場感あるデータからより細やかなデータへ


パンチ オリックスのスコアラーは何年やったの?

田上 2年やりました。

パンチ スコアラーの楽しさ、難しさはどんなところに感じましたか。

田上 僕は先乗りスコアラーとして、バックネット裏から試合を見ていたんですが、そこでキャッチャーがボールを捕球した位置を正確に書かなければいけないんです。キャッチャーの後ろから、それをどうやって見るんだろうと思って、最初は苦労しました。

パンチ 見えないもんね。

田上 特に低めが見えないです。でもやっていくうち、分かるようになりました。

パンチ スコアラーの一日って、だいたいどんな感じなの?

田上 先乗りスコアラーでも役割がいろいろ変わるんですよ。相手チームのデータを取りに行っていたときは、僕は楽天担当だったので、ナイターなら午前中はその日投げるピッチャーはじめ、楽天のデータを整理して、楽天がフリーバッティングをやっている時間からグラウンドに行って、バッターの状態を見たり、「この選手が上がってきたのか」と確認したり。

パンチ ピッチャーだけじゃないんだね。「これはチームにいい情報を流せたぞ」っていうこともあった?

田上 一度、福良(淳一監督=当時)さんが「スコアラーのおかげで勝てた」とコメントしてくれた試合があったんです。楽天戦で、僕が則本(昂大)の球種によるクセを見つけて報告したんですよ。それで確か初回から7者連続で長短打を打ったんです。

パンチ それは「やった!」って感じだよね。

田上 バックネット裏で、「よしよしよし」と思っていました(笑)。

パンチ そこから、今の世界に入ったきっかけは?

田上 この会社(株式会社ケイコンテンツ)に来る前に一度、データ分析の会社に入っているんです。『データスタジアム』といって、さまざまなスポーツのデータを解析、配信する会社です。

パンチ スコアラーとその会社で扱うデータには、どんな違いがあるの?

田上 プロ野球のスコアラーは、どちらかというと“現場感”。配球やプレーに関するデータを集めます。データスタジアムのほうは、そうしたデータも集めつつ、ピッチャーの投げる球の回転数とか角度とか、より細かなデータを扱います。

パンチ 今やデータ野球の時代なんだねえ。メジャー・リーグなんかでも、かなり極端なシフトを敷いているもんね。

田上 より確率の高いほうを選択していくのが、今のメジャー野球ですよね。左ピッチャーのときは右バッターを並べるという固定観念がありますけど、データで見ると左のほうが、成績がいいこともあるんですよ。

パンチ 俺たちの時代はピンチヒッターなんか、「おい佐藤、昨日打って調子いいから今日も行け」くらいのレベルだったからね(笑)。しかし、そこで人生勝負してもいいところを今の会社に来たのはなぜ?

田上 大学の先輩のトクサン(徳田正憲さん)がいる草野球チームにたまたま僕が入ったんです。トクサンは『トクサンTV』という野球のユーチューブをやっていて、その影響力をあらためて見るにつけ、僕自身もまた野球をやりたいなと感じました。野球をやることで、何か野球界に貢献できないかと。

動画クリエイターとして矜持を持って


パンチ 野球のユーチューブだけを作っているの?

田上 会社自体では野球と漫画のユーチューブを作っています。僕は野球部門で、自分たちの(草野球の)試合の中であったプレーや、野球の技術的なことをテーマに動画を作ります。

パンチ じゃあ、プロ野球のOBがやっているような「あのときは、大阪ミナミで飲んで……」なんていう話じゃないんだ。

田上 (笑)はい。野球の技術を上げたい選手、指導者が参考にできるよう多岐にわたる情報を提供するのはもちろん、野球を見るのが好きな方、それから野球人口を増やす意味でも、幅広い層に「野球って面白いんだ」と興味を持ってもらえるような内容を毎回考えています。

パンチ じゃあ、技術以外の回もあるんだね。

田上 社会人野球のパナソニックに潜入した回もありますよ。

パンチ パナソニックも協力してくれるんだ! どんなことが勉強になった? 言える範囲で教えてよ。

田上 社会人野球でプレーしている選手がどういう意識でバッティング練習やキャッチボールをしているとか。ふだんあまり聞けない話が聞けたと思います。僕が面白かったのは、毎回相手を変えてキャッチボールをすること。一人ひとり球筋が違うので、それを覚えるんだそうです。

パンチ そんなこと考えてるんだね。いつも、だいたい同じ相手とキャッチボールするよね。

田上 僕もそうです。でもそれを見て、いいアイデアだなと思いました。

パンチ 田上君はその動画制作のどこからどこまで、どんなふうに関わっているの?

田上 全部です。企画を作って、グラウンドを取って、グラウンドに行ってカメラを回して。企画によって自分が出るときは、他の人にカメラを回してもらいます。あとは撮ったものをパソコンで編集して……。

パンチ 編集が命っていうじゃない。そこはプロがいるの?

田上 漫画は何人かいますが、野球は自分たちで全部編集していますね。

パンチ「ほよよん」とか「ズドン!」とか、そういう効果音は?

田上 全部自分たちで入れます。BGM集とか効果音の中から選んで入れています。

パンチ あれは大変らしいよね。頑張ってるね。今、どのくらい登録数があるの?

田上『トクサンTV』が58万人、『クニヨシTV』が22万人ほどです。

パンチ この会社でやりがいを感じる、仕事が楽しいなって思う瞬間は、どんなとき?

田上 動画配信会社のクリエイターとして、やはりいい作品、動画を配信していくことを念頭に考えています。そうして自分たちで動画を作り、いざ公開すると、反応が目で見て分かるんですよ。結果がすぐ分かるのがうれしいですね。それを見ながら、「ここをこう変えたらもっとよくなるかな」とか考えるのも楽しいです。

パンチ 今後の夢はありますか?

田上 今は僕もプレーヤーで、自分が実際にプレーして皆さんに提供している形ですが、いずれ自分がプレーできなくなってくる日が来ます。そうなったときのために、指導者スキルを付けておきたいなと思っていまして。ずっと教員免許を取るための勉強をしてきて、先だって全単位を取り終わったので、あとは免許申請するだけなんですが。

パンチ 将来は高校野球の監督ってこと?

田上 何かしらの形で、指導者ができればいいなと思っています。

パンチ 母校に戻って甲子園、なんて素敵じゃない!

田上 はい、できたらいいですね!

パンチの取材後記


 いやあ、時代が大きく変わってしまったなあ、という感じですね。政治の世界なんかは前々から言われているけど、プロ野球、アマチュア野球の世界もどんどん若い人を入れていかなれば前に進まない。石頭の頑固おやじたちだけじゃあ、進歩はないですね。

 僕は今年56歳。プロ野球、芸能界という山をここまで登ってきました。2年前、家族に「あとは健康にゆっくり下山するから」と言って、娘に世代交代をしたわけです。でも田上君はまだ33歳。もう2つぐらい山を登れると思います。チャレンジ精神旺盛で、今も熱心に野球の勉強を続けている田上君だったら、なんでもできる。彼が高校野球の監督に就任したら、どんな監督になるんだろう。新しい高校野球のスタイルができるのかな、こちらもそんな夢を見られそうです。

 ところで田上君、わが有限会社パンチ企画は、いつでもどこでもお仕事大歓迎! おじさんの話が聞きたい回は、ぜひゲストに呼んでください(笑)。

●田上健一(たがみ・けんいち)
◎1987年12月12日生まれ、神奈川県出身。創価高から進学した創価大では東京新大学リーグで首位打者を獲得。育成ドラフト2位で2010年阪神に入団すると、3月に支配下登録された。14年の日本シリーズにも出場したが、15年限りで退団。16、17年とオリックスのスコアラーを務めたあと、データスタジアム勤務を経て、20年に株式会社ケイコンテンツに入社。YouTubeチャンネル『トクサンTV』『クニヨシTV』の制作、配信に従事している。

●パンチ佐藤(ぱんち・さとう)
本名・佐藤和弘。1964年12月3日生まれ。神奈川県出身。武相高、亜大、熊谷組を経てドラフト1位で90年オリックスに入団。94年に登録名をニックネームとして定着していた「パンチ」に変更し、その年限りで現役引退。現在はタレントとして幅広い分野で活躍中。

構成=前田恵 写真=椛本結城
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