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プロ野球回顧録

糖尿病とも闘いながら「気迫+頭脳的」ピッチングを見せた“大型助っ投”巨人・ガリクソン【プロ野球回顧録】

 

江川の穴を埋める活躍


“ガリー”の愛称でナインから親しまれた巨人ガリクソン


 抜群のスタミナで“働き馬”とも言われた、大型助っ人右腕がガリクソンだ。1型糖尿病を患っていたことでも知られ、毎朝、左手の指先から血を抜いて糖の量を検査し、自分で注射器を持って腹にインスリンを打たなくてはならなかった。完治は難しく、野球選手を続けていくには病気と付き合っていくしかなかったが、メジャーで8年間、先発投手として活躍し、うち6年は2ケタ勝利を挙げている。

 そしてメジャー通算101勝の実績を引っ提げ、ヤンキースから88年に巨人の助っ人として来日。前年に江川卓が引退したこともあり、その穴を埋める活躍が期待された。

 巨体から投じる球速表示以上の威力が感じられる速球も魅力だった。だが、最速は140キロ前後。「それでも気合がこもっているから打たれない。みんなにも、見習ってほしい」と王貞治監督は若手の奮起を促していた。それ以上に特筆すべきは制球力。四隅を丁寧に突き、球速と変化球を組み合わせて打者の裏をかく頭脳的なピッチングを見せた。開幕2戦目、4月9日のヤクルト戦(東京ドーム)で初先発初完投。メジャー時代は中4日で投げていたというスタミナも大きな魅力で、1年間先発ローテーションを守り、リーグ最多の14完投。14勝(9敗)でチームの勝ち頭となった。

 マウンドでは戦う男そのもので、練習も手を抜かない。一方で、ふだんはメジャーの実績を鼻にかけることもなく、物静かで、紳士的。自分と同じ糖尿病患者への慈善活動にも力を入れ、CM収入などグラウンド以外での収入はすべて寄付していた。

 1年目を終え、「日本の野球が分かった分、勝ち星も増えると思う。20勝近くはできるんじゃないか」と話して迎えた89年だったが、3月に左ヒザ半月板損傷が分かり戦線離脱を余儀なくされてしまう。結局7勝に終わり、この年限りで退団することとなった。

 桑田真澄と親交が深く、ガリクソンは息子のミドルネームを“クワタ”と名付けたほど。当時からメジャー志向だった桑田にとって、のちのメジャー挑戦に大きな影響を与えた存在だった。

写真=BBM
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