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8年連続日本一から垣間見えた「川上巨人が強かった理由」/週べ回顧1972年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

判断は選手に任せた牧野茂ヘッドコーチ


表紙は巨人王貞治


 今回は『1972年11月13日号』。定価は120円。

 ここ何回かパ・リーグ再編の動きを追った。
 この号でも、興味深い記事があったのだが、時期は日本シリーズ。今回はそちらについて触れていこう。
 またも巨人─阪急の対戦となった日本シリーズ。川上哲治監督にとっては10度目、西本幸雄監督にとっては6度目の日本シリーズだった。

 まず初戦5対3、2戦目6対4で巨人が連勝のあと、後楽園から西宮へ舞台が変わる。
 ここで“日本シリーズ男”、阪急の足立光宏が先発し、阪急が一矢報いるが、4戦目は巨人が4対1で王手をかけ、5戦目は3回に4本塁打を浴びせ一挙5点を取って8対3で勝利。巨人の8年連続日本一が決まった。
 MVPは4戦目まで4連投し、2勝1敗の堀内恒夫だった。
 川上監督は10度のシリーズで全勝、西本監督は6度のシリーズで全敗と明暗を分けたことになる。
「シリーズを通して運がよかった。ついていたということです。巨人軍らしいゲームをしたのは第5戦だけ。あとは危ないゲームでした」
 と川上監督。理由はよく分からないが、試合後の胴上げはなく、表彰式が終わってから行われた。

 勝負のターニングポイントになったプレーがある。巨人が2勝1敗で迎えた第4戦だ。
 3対1とリードしていた巨人だが、関本四十四が無死一、二塁としたところで、4連投目の堀内が登板した。
 打者は岡田幸喜。誰が見ても送りバントのシーンだった。

 実際、岡田はバントの構えをしたが、一転強攻策。しかし、打球はショートの黒江透修の正面へのライナーとなり、セカンドに入った土井正三に送られ、併殺になった。
 牧野茂ヘッドコーチは言う。
「ふつうバントに備えていれば、二塁の土井は一塁のベースカバーに入る。だからあの遊直で併殺は無理。岡田はバントのフェイントをかけていたが、土井がそれに乗らないのがよかった。こっちは見抜いていたからね」
 牧野によれば、あえて堀内に二塁牽制をさせ、走者の動きからバントはなしと判断し、サインを出したという。堀内は本調子ではなく、このあとの2人に連続四球。もしバント、あるいはバントと読んでショートの黒江がセカンド寄りに守り、打球が抜けていたらどうなったか。

 さすが牧野ヘッドと言いたいところだが、実際はさらに奥深い。
『ジャイアンツ60年』(1994年発行)のV9戦士座談会で、このシーンが話題になった。土井の言葉を中心に拾っていこう。

土井 牧野さんがマウンドに来て例のサインで行こうかと。
高田(繁) バントシフトね。
土井 しかし西本さんの性格から言ったら、関本だったらバントするけど、ホリだったら絶対に打ってくる。しかも、9回だったから、同点よりも一気に逆転を狙ってくるぜと僕は言ったし、黒ちゃん(黒江)もそう思うと言うんだよ。そしたら(牧野さんが)お前に任すということになって」
高田 それで前進守備をしなかったんだ。
土井 そう。そして塁にもつかなかったんだ。そうしたらバーンと正面に来た。黒江さんがジャンプして捕ったときには僕はもうセカンドに入ってゲッツーよ。

 このやり取りを聞いたあと、柴田勲はこう締めている。
「でも、日本シリーズの大事なときに、選手に任せたというのがすごい。任せられるだけの選手がいたということだね。今はそんなチームもないだろうし」
 V9巨人。その強さの一端が分かる逸話だ。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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