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ロッテの中村長芳オーナーがなぜかライオンズのオーナーに?/週べ回顧1972年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

東映は1年だけ継続?


73年からライオンズは太平洋に。左から加藤初東尾修


 今回は『1972年11月13日号』。定価は120円。

 1リーグ制移行への動きがひとまずストップした。
 最大の問題は、翌年からの球団経営の意思がないことを表明していた西鉄の身売り先だったが、かなりのウルトラCながら一応クリアした、

 話の流れを整理する。
 1972年、パ球団の経営難もあり、春先からパ各球団に加え、ヤクルトの賛同を得て、8球団1リーグへの動きを中心になって進めていたのがロッテの中村長芳オーナーだった。
 この動きはセ球団の説得に失敗し、暗礁に乗り上げたが、東映、西鉄は、すでに球団経営のギブアップ寸前。買い手がなければ、最悪、パは4球団で73年を戦う可能性もあった(10球団1リーグはセ、パとも反対が多かった)。

 中村オーナーは、事態がひっ迫していた西鉄の身売り先を探しペプシと交渉したが、10月20日、正式に断られた。そのあとパイオニアに接触し、こちらからは色よい返事をもらっていたというが、東映も身売りを考えていることを知り、「そんなリーグの球団など危なっかしくて買収できない」になったという。

 東映は身売り先を探すが、見つからなければもう1年やると言っていたが、西鉄は最後まではっきりしなかった。
 木本オーナーは、
「あくまで福岡に本拠地を置くのが条件だ。金額の多い少ないは問題ではない。買い手がつかなければ、今後も存続させるとも言えるし、逆に投げだすかもしれない」
 とかなり大雑把なことを言っている。

 パイオニアに断られたあと、中村オーナーは「すべては振り出しに戻った」と発言したが、そこから数日後、レジャー産業の太平洋クラブがスポンサーになることが決まり、28日、西鉄本社で調印した。この時点で東映は身売り先が決まらず、1年の球団経営継続を明らかにしていたという。
 西鉄の木本オーナーは売却決定の会見で、
「中村さんの口利き。新チームには西鉄は経理面でもタッチしないし、金銭援助もしない。完全な売却です」
 と言って笑顔を見せた。

 また、このあたりの経緯は記事からではっきり分からないが、新ライオンズ球団は中村がオーナーになり、2球団のオーナーにはなれないので、ロッテには24日に辞表を出していた。
 中村は
「今回のことには私の意地もある。セ・リーグ人気にすがってやっていくくらいなら(球団経営は)やめたほうがいい」
 と1リーグ派とは真逆の言葉を吐き捨てるように語ったという。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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