王貞治や
落合博満、イチローといった驚異的なプレーで毎年のようにタイトルを獲得し続けた選手がいる。では、もしこれらの選手がいなければ、その年のタイトルは誰が獲得していたのだろうか? もしかしたら、代わりに誰かが三冠王になったり、不動の連続記録を打ち立てたりしたかもしれない。今回は、落合や王、イチローといったアンタッチャブルな成績を残した3人がいなかった場合に、誰がタイトルホルダーになっていたのかを調べてみた。
王がいない場合は長嶋が三冠王に
巨人・長嶋(左)と中日・江藤。66年はこの2人が本塁打ランキング2位だった
まずは、「868本塁打」という、日本プロ野球の歴史に燦然と輝く記録を残した王貞治から。王の記録で特に驚異的だったのが「本塁打王」の獲得回数。通算15回、最長13年連続はともにNPB記録だ。もし王がいなかった場合は、この13年間はどうなっていたのだろうか? 各シーズンの本塁打2位の選手を以下にまとめてみた。
1962年
長嶋茂雄(巨人) 25本塁打
1963年 長嶋茂雄(巨人) 37本塁打
1964年 マイク・クレス(大洋) 36本塁打
1965年
江藤慎一(中日)29本塁打
1966年 長嶋茂雄(巨人)、江藤慎一(中日)26本塁打
1967年 江藤慎一(中日)34本塁打
1968年
デイブ・ロバーツ(サンケイ)40本塁打
1969年 デイブ・ロバーツ(サンケイ)37本塁打
1970年
木俣達彦(中日)、
松原誠(大洋)30本塁打
1971年 長嶋茂雄(巨人)34本塁打
1972年
田淵幸一(
阪神)34本塁打
1973年 田淵幸一(阪神)37本塁打
1974年 田淵幸一(阪神)45本塁打
王がいない場合は、長嶋茂雄に4度、田淵幸一に3度の本塁打王が巡ってくる。王と毎シーズンのようにしのぎを削っていた中日の江藤も、3度の最多本塁打を獲得する形だ。王の存在を脅かしていたサンケイのロバーツも王がいないとなると2年連続の本塁打王。また、1963年の長嶋は首位打者と最多打点のタイトルを獲得しているが、本塁打王は王に阻まれていた。そのため、王がいない場合は長嶋が三冠王となる。王がいないとなれば、この時代の本塁打王争いは群雄割拠になっていただろう。
落合不在でブーマーの独壇場に
歴代最多となる3度の三冠王に輝いたのが落合博満だ。1982年、1985年、1986年に三冠王になっており、1985年と1986年はセ・リーグでも
ランディ・バースが三冠王を獲得。両リーグともに2年連続で三冠王が出るという珍事が起こった。では、もし落合がいなかった場合、この3年間のパ・リーグ打撃タイトルは誰が受賞していたのだろうか? 各年の打率、本塁打、打点2位だった選手は以下のとおり。
●1982年
打率:
新井宏昌(南海).315
本塁打:
ウェイン・ケージ(阪急)31本
打点:
羽田耕一(近鉄)85打点
●1985年
打率:
リチャード・デービス(近鉄).343
本塁打:リチャード・デービス(近鉄)、
秋山幸二(
西武)40本
打点:ブーマー・ウェルズ(阪急)122打点
●1986年
打率:ブーマー・ウェルズ(阪急).350
本塁打:ブーマー・ウェルズ(阪急)42本
打点:秋山幸二(西武)115打点
1982年は南海の新井、阪急のケージ、近鉄の羽田の3人が打撃タイトルを分け合う形になったが、1985年はデービスが6試合連続本塁打を放つなど活躍しており、落合がいない場合は見事に二冠王だ。また、ブーマーも各タイトルで上位に入っており、特に打点はリーグ2位だったので、落合不在だとブーマーが2年連続で打点王ということになる。また、落合が3度目の三冠王になった1986年は、ブーマーが二冠王になり、西武の秋山が打点王。もし落合がいなかった場合、1980年代のパ・リーグは「ブーマー1強」のような時代になっていたかもしれないのだ。
イチローがいなければ首位打者タイトルは?
イチローが初めて首位打者に輝いた94年、2位だったダイエー・カズ山本
最後は7年連続で首位打者になったイチローだ。首位打者のタイトルは
張本勲も同じく7度獲得しているが、「連続記録」となるとイチローの7年連続が歴代最長。では、もしイチローがいなかった場合、1994年から2000年までの打率タイトルは誰が獲得することになるのだろうか? 各年の打率2位選手をまとめてみた。
1994年 カズ山本(ダイエー).317
1995年
堀幸一(ロッテ).309
1996年
片岡篤史(
日本ハム).315
1997年
フィル・クラーク(近鉄).331
1998年
平井光親(ロッテ).3204
1999年
松井稼頭央(西武).330
2000年
シャーマン・オバンドー(日本ハム).332
カズ山本(山本和範)に堀幸一、平井光親となかなか渋い選手の名前が並ぶ。特に1994年の山本は、家庭の事情もあり「カズ山本」に登録名を変更した年で、二番打者ながら積極的なバッティングで安打を量産。イチローがいない場合は念願の首位打者だった。また、1998年はイチローが首位打者だったためそこまで注目されなかったが、実は平井が.3204、クラークが.3202と2位争いが2厘差だった年。もしイチローがいなければ、大接戦の首位打者争いとして歴史に刻まれたかもしれない(ちなみにNPB史上最も僅差だったのが1976年でわずか1毛差)。
たまにはこうした「たられば」の話を考えてみるのも一興だ。例えば、現在は
ソフトバンクが日本シリーズ4連覇中と圧倒的だが、仮にソフトバンクが弱かったらどうなっているか。もし活躍中の阪神・
佐藤輝明が巨人に入っていたらどうなっていのか、想像は尽きない。
文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM