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プロ野球はみだし録

「優勝せんかったら責任問題」黄金時代を謳歌していた九州ライオンズの“終わりの始まり”【プロ野球はみだし録】

 

安定感の西武とは対照的に


西鉄・三原脩監督(左。右は稲尾和久


 昭和から平成にかけての時代、西武は強かった。近年はソフトバンクの黄金時代だが、安定感でいえば当時の西武に軍配が上がるだろう。1982年にチームが西武となって初のリーグ優勝、日本一を果たすと、94年まで優勝を逃したのは2度のみで、日本一は8度。2年連続V逸を挟んで97年からリーグ連覇を達成しているが、いずれも日本一は逃していて、90年からのリーグ5連覇、3年連続日本一に比べれば、どうしても輝きが霞む。

 西武の前身は、現在はソフトバンクが本拠地を置く九州は福岡に誕生した西鉄だ。西鉄にも黄金時代があり、三原脩監督の下、54年に初のリーグ優勝。このときは同じく初優勝の中日に日本シリーズで敗れたが、56年からは3年連続リーグ制覇、日本シリーズでも3年連続で巨人を下して日本一に。58年はペナントレースでは首位と11ゲーム差、日本シリーズでも3連敗から4連勝の大逆転。西武の安定感とは対照的な荒々しい黄金時代こそ、西鉄の魅力だったのかもしれない。

 だが、この伝説的な逆転優勝の裏で、歯車は狂い始めていた。一時は優勝は絶望的と思われたペナントレースの途中、フロントが三原監督に「優勝せんかったら責任問題になる」と発言。これに対する三原監督の激怒が逆転優勝につながるのだが、この発言は3連覇の起爆剤だったのと同時に、黄金時代の終焉につながる導火線に火をつけるものだった。優勝を決めた直後、三原監督は大洋(現在のDeNA)の監督に転じることを決意。かつて巨人の監督と選手の関係で、このとき大洋に在籍していた青田昇に「一緒に頑張ろう」と言っていたという。ただ、一方の大洋では、喜ぶ青田に球団の関係者が「三原さんは、お前たちベテランを切ろうとしている」と言い、これに青田が激怒。青田は三原監督の“移籍”を新聞記者にリーク、これが大々的に報じられたことで、慰留された三原監督は一転、残留することになった。

 翌59年、西鉄は4位。オフに三原監督は退任して大洋の監督に就任する。西鉄は63年に14.5ゲーム差を覆してリーグ優勝も、日本一には届かず。これが最後の優勝となった。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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