3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 アルトマンの去就は
今回は『1972年12月25日号』。定価は100円。
「プロ野球のオーナーになってからの夢が屋根付き球場をつくることだった」
そう語ったのは
ヤクルトの松園オーナーだ。
「建設予定地は神宮の絵画館あたり。いまの神宮球場を屋根付きにするものいいだろう。野球界の発展のためにもいいと思う。私は何年も前から構想を練っていた。いまこそその機が熟されたのだ」
と話していた。
さらに
ロッテが東京球場の使用に関し、小佐野賢治会長との話し合いが決裂。使用が不可能となり、重光オーナーが善後策について松園オーナーに相談の話し合いをした際も、この話が出た。
「松園さんの屋根付き球場の話は、私にも実に面白かった。本当につくるなら私も出資して球場を使わせてもらいたい」
重光オーナーの賛同に松園オーナーは上機嫌。
「いずれにしても、私は日本初の屋根付き球場をつくってみたい。日本の建築技術は世界のトップを行くくらいだから問題はないはずだ」
過去、
巨人が新宿に、3、4年前には近鉄が万博会場跡に屋根付き球場建設のプランを発表したが、いずれもお流れになっていた。
今回はいかに。
ロッテにドジャースの
ジム・ラフィーバーが入団することが決まった。
ラフィーバーはセカンドとして65年にはナ・リーグの新人王に選ばれた29歳。いわば“バリバリの大リーガー”だ。日米野球で来日した際、よほどいい思いをしたのか、もともと日本球界への関心が高い選手でもあった。
当初は西鉄を買収した太平洋クラブの中村オーナーがドジャースの
オマリー会長に獲得の打診をし、決まりかけていたが、ゴルフの取材を兼ねて渡米していたロッテ・
金田正一新監督(正式契約前のタレント活動中)がオマリー会長とラフィーバーに直談判で口説き落とした。
内野はどこでも守れるユーティリティーだが、やや太りやすい体質もあって、日本ではファーストを希望していた。
金田正一監督は、「これでワシの努力も報われたことになる。まず一塁・三番を打ってもらうことになるやろ」とニコニコ顔。
これで去就が微妙になったのが
アルトマンだ。外野手だったが、足腰の衰えで一塁に回っていた。打撃はまだまだ捨てがたいが、高額の年俸と40歳になる年齢もあって、
「小山(
小山正明)とアルトマンはワシの構想から完全に浮いた選手」
と金田監督は公言していた。
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM