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ロッテ・佐々木朗希が甲子園でプロ初勝利。最高の親孝行となったウイニングボール

 

プロ初勝利のウイニングボールを手にする佐々木朗(右。左は井口監督。写真=毛受亮介)


 2019年7月25日。岩手県営球場は試合開始1時間前にして、ほぼ満員。特に大船渡高の三塁側応援席はプレーボールを待ち切れない様子だった。1984年夏以来、35年ぶり2度目の甲子園まであと1勝に迫っていたからだ。

 163キロ右腕エース・佐々木朗希の母・陽子さんは応援席で興奮気味に、ある秘話を明かしてくれた。

「記念球なんて初めて……。まずは、仏壇に飾りました」

 ものすごく、うれしそうだった。佐々木朗は194球で完投した久慈高との4回戦。12回に自ら勝ち越し2ランを放ったホームランボールを、母にプレゼントしていたのである。

 11年3月11日の東日本大震災。陸前高田市出身の佐々木は被災し、父・功太さんは他界していた。

 佐々木朗は花巻東高との決勝で登板を回避した。前日、一関工高との準決勝で2安打完封。疲労と将来を考慮した大船渡高・國保陽平監督は投げさせないどころか、野手としても出場させなかった。チームは2対12で敗れた。

 エースが登板せず、甲子園出場を逃す。試合後、三塁側応援席は喪失感に包まれていた。大船渡高の保護者は誰一人として言葉を発することなく、じっと閉会式を見つめていた。さまざまな事情があったにせよ、目の前の現実を受け入れることができなかったのだ。一連のセレモニーが終わると、母・陽子さんは「悔しい。その一言です」とだけ口を開いた。

 あれから2年――。ロッテ・佐々木朗は5月27日の阪神戦(甲子園)、一軍登板2試合目にしてプロ初勝利を手にした。先発で5回4失点。降板直後、ロッテは2点を追う6回表に逆転し、打線が強力援護した。チームメートの誰もが佐々木朗の高校時代の「無念」を知っている。甲子園で、勝たせたい。ナインの思いが攻撃に乗り移ったのは、想像に難くない。

2019年夏。大船渡高のエース・佐々木朗は花巻東高との決勝で登板を回避。チームは2対12で甲子園出場を逃した(写真=佐藤博之)


 試合後、ロッテ・井口資仁監督と撮影に応じた。佐々木朗の右手にはウイニングボールがあった。ヒーローインタビューでこう言った。

「両親にプレゼントします」

 2019年7月25日。大船渡高の多くのメンバーが、涙を流した。佐々木朗はグッとこらえた。「プロ1勝」は父と母への「感謝」はもちろんのこと、仲間への「恩返し」でもあったはず。当時、國保監督の決断に、佐々木朗は「すごくありがたいことです。その分、将来は活躍しなきゃな、と思います」と話していた。

 あの夏、佐々木朗の「登板回避」には賛否両論があった。否定的な意見のほうが多かった気がする。誰もが、夏の甲子園で佐々木朗が快投する姿を見たかった。ただ、あの決勝で連投していれば、甲子園でこの日を迎えられたかどうか……。それは、誰にも分からない。

 事実として残ったのは、甲子園での「プロ初勝利」だ。最高の親孝行。大船渡市内でテレビ観戦していた母・陽子さんは息子のコメントに号泣したという。ようやくプロのスタートラインに立った。佐々木朗は今後も、実家に収まりきらないほどの記念球を送り届ける。

文=岡本朋祐

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