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日本人メジャーの軌跡

こだわりの連続出場が骨折でストップ。松井秀喜にとって試練となった2006年/日本人メジャーの軌跡

 

松井秀喜ヤンキースで2003年からの3年間、毎年全試合に出場して100打点以上をマーク。チームの主力となり、3年総額2100万ドルの契約を終えると05年シーズン終了後には4年総額5200万ドルの新契約を交わした。

首位攻防戦でまさかの……


守備の際、左手首を痛めた松井


 迎えた2006年、大きなケガに見舞われた。5月11日、本拠地でのレッドソックス戦。シーズン序盤とはいえ、地区トップに並んで迎えた首位攻防戦であった。1回無死一塁。レッドソックスの二番、マーク・ロレッタは左翼へ浅い飛球を放つ。前進した松井だが、差し出したグラブが芝に引っかかって左手首を強く捻る。苦痛に顔をゆがめ、そのまま退場した。検査の結果、骨折。すぐに手術を受け、チームを離脱した。これで巨人時代から続いていた連続試合出場が1768でストップした。ジョー・トーリ監督が後に明かしたところによると、この記録は松井が最も価値を見出していたものだったという。

 ヤンキー・スタジアム近くのグッズショップでは、ファンが「早く戻って来て」などと寄せ書きをした背番号55のユニフォームが店頭に飾られ、松井の復帰を心待ちにしていた。辛抱の日々を経て、9月になると3Aで復帰への実戦テストに入った。レッドソックス傘下との対戦だった。この取材のため、筆者はそれまで縁のなかったニュージャージー州トレントン、メーン州ポートランドを訪れることができた。松井にとっても若いマイナー選手と触れ合えたのは貴重な経験だったようで「彼らは真剣に取り組んでいる」と語ったように、刺激を受けたようだった。

 ヤンキースに戻ったのは9月12日のデビルレイズ(現レイズ)戦。八番・指名打者で先発に名を連ねた。1回に早くも打順が回って来る。一死一、三塁。5万2265人の観客からの温かい拍手と歓声で迎えられた松井は、中前適時打を放ってファンの期待に応えてみせた。

 その後も安打を重ね、8回二死走者なしから四球で出塁したところ、代走を送られてお役御免。結局この日は4打数4安打1打点2得点の大活躍で、12対4の大勝に貢献した。復帰直前の打撃練習ではもうひとつの調子だったが「ピンストライプのユニフォームを着て、ヤンキー・スタジアムでプレーするというのがいいふうに影響したのかもしれない」と、本拠地の見えない力に感謝した。

 ケガの前は打率.261、5本塁打、19打点だったが、復帰後は打率.396、3本塁打、10打点と活躍した。

 この年、ヤンキースはブルージェイズに10ゲーム差をつけてア・リーグ東地区9連覇を達成した。だがプレーオフでは地区シリーズでタイガースに1勝3敗。松井は4試合で打率.250、0本塁打、1打点と残念な成績に終わってしまった。

『週刊ベースボール』2021年4月26日号(4月14日発売)より

文=樋口浩一 写真=Getty Images
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