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プロ野球はみだし録

46年前の今日…「絶対に手を出すな」と選手に言いながら選手に“手を出して”しまった西本幸雄監督【プロ野球はみだし録】

 

優勝の可能性が見えてきた近鉄で


近鉄・西本幸雄監督


 21世紀に歴史を終えた近鉄が、まだ優勝とは無縁だった時代。パ・リーグの“お荷物”とさえいわれたチームに優勝の可能性が見えてきたのは阪急(現在のオリックス)に黄金時代を築いた西本幸雄監督が就任してからだ。当時のパ・リーグは前期と後期の2シーズン制。就任1年目の1974年こそ前期5位、後期4位のシーズン5位と、最下位を脱出したのみに終わったものの、就任2年目となる75年は開幕から好調を維持する。最大の敵は、その西本監督が育て上げた阪急だった。

 阪急の快進撃を支えたのは新人の山口高志だった。武器は歴代でも最速という呼び声の高い剛速球。ただ、パ・リーグの打者たちが空振りする高めに伸びていく剛速球は、ほぼボール球だった。特に初球は高めのボール球になることがデータで分かると、西本監督は5月30日の西宮球場での一戦で、攻撃の前に円陣を組み「初球の高めには絶対に手を出すな」と指示する。実際、先頭打者への初球は剛速球で、高めへのボール球だった。だが、その先頭打者の羽田耕一は、これを空振りした上、凡退。ベンチへ戻ってきた羽田に西本監督のビンタが飛んだ。

近鉄・羽田耕一


 だが、攻撃を前にした円陣には、このイニングの先頭打者は加わらないのが一般的。このときの羽田も円陣に加わっていなかったため、指示を聞くことが不可能だったのだ。近年なら大問題に発展しかねないが、当時は鉄拳制裁も当たり前だった時代。その是非はともかく、のちに西本監督も羽田が指示を無視したわけではないことを知り、羽田も特に言い立てることはしなかったというが、もちろん、これは羽田が泣き寝入りしたということではない。

 西本監督は羽田を「未来の大砲に」と期待しながらも、羽田はプロ4年目、“未完の大砲”で、西本監督は羽田を早く一人前にするべく、粉骨砕身していた。こうした西本監督の強い期待が思いがけない形で噴出してしまったエピソードだ。ちなみに、この稿に鉄拳制裁を推奨する意図はないので、念のため。羽田は77年には四番打者としての出場が目立つようになり、リーグ連覇の80年には自己最多の30本塁打を放っている。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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