バットを握るのは6年ぶり

慶大の1年生・清原正吾は5月31日、早大とのフレッシュトーナメントでベンチ入り。出場機会はなかったが、神宮の雰囲気を味わった
なぜ、慶大・清原正吾内野手(1年・慶應義塾高)は再び、野球に目覚めたのか。
昨年、新型コロナウイルスの影響により、部活動が停止。高校3年生のアメリカンフットボール部員だった清原は、この期間に「弟(勝児さん)とオヤジ、家族で練習したんです。僕自身、野球が好きなんだな、と。大学ではやろうかな、と思いました」と、決意を固めた。バットを握るのは6年ぶり。新鮮だった。自分が生きていく道を見つけたのだ。
小学3年時にオール麻布で野球を始め、6年までプレー。慶應普通部(中学)に進学後は「勉強が難しく、外で野球ができない。友だちの紹介もあった」との理由からバレーボール部に在籍した。そして、慶應義塾高ではアメリカンフットボール部(ポジションは攻撃側のTE=タイトエンド)で活動した。大学から硬式野球という、過去にあまりないチャレンジにも、家族の後押し、そして、受け入れ先となる慶應義塾体育会野球部の理解もあった。
「オヤジ」とは、
西武、
巨人、
オリックスでNPB通算525本塁打を放った
清原和博氏である。同大学の野球部ホームページには「尊敬する人物」に「両親」を挙げている。
「父は(大学入学前に)打撃をいつも優しく教えてくれた。指導も分かりやすく、自慢のオヤジです。母(亜希さん)は高校までお弁当を作ってくれ、部活のサポートをしてくれた。尊敬している」
5月31日、東京六大学では2年生以下のフレッシュリーグが開幕した。清原は早大戦でメンバー入り。ベンチ登録25人のうち、1年生は清原を含めて6人と、激しい競争を勝ち抜いたのである。慶大・堀井哲也監督は、長いブランクも踏まえて、合流当初は「3年生ぐらいからレギュラー争いをしてくれればいい」と見通しを語っていたものの「相当、面白い!」と、右のスラッガーに惚れ込んだ。早く起用してみたいと思わせる理由はこうだった。
「スイングがシャープ。一流の軌道をしている。高校野球をやっていないとは思えず、ウチのメンバーを見ても、そん色ないレベルにある。パワー、脚力は予想どおりでしたが、スローイングが良い。野球選手が皆、苦労する送球面で、不安がないのは大きいです」
当初、清原本人は外野手登録を考えていたが、ボールに触れる機会が多い一塁手としての可能性を感じた堀井監督は、内野手へ転向させた。将来的には「四番・ファースト・清原」の可能性を秘めているのである。
紅白戦では2本塁打

父はNPB通算525本塁打の大打者・清原和博氏(写真は西武1年目の1986年)
フレッシュリーグを前にした紅白戦では、左方向への2本塁打。堀井監督によれば「正木(智也、4年・慶應義塾高)は飛距離。3年生の萩尾(匡也、文徳高)は弾丸ライナーの打球が持ち味ですが、清原はそれに匹敵する打球であったと報告を受けました」と、規格外のパンチ力であるという。ところが、試合直前の調整で、死球により右手を痛めたため、この日は大事を取ってシートノック(選手登録は一塁手)には入らず、三塁ベンチで代打での出番を待った。
1対0で勝利した早大戦で出場機会はなかったが、清原は「特別なものを感じた」と、初の神宮を満喫。そして、今後の抱負を語った。
「当面の目標? 神宮の打席に立ってフルスイングすること。打撃が長所だと思っているので、オヤジのような選手になりたい」
この日、清原氏が神宮の一塁ベンチ上で観戦。試合終了まで席を立たず、息子の動きをじっと見守った。次戦は6月2日の東大戦。186センチ90キロ。背番号25を着ける右の大砲・清原の神宮デビューが待ち遠しい。
文=岡本朋祐 写真=矢野寿明