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南海の富田勝と巨人の山内新一、松原明夫が交換トレード/週べ回顧1973年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

アルトマンの退団?


南海時代の富田勝(写真は1970年)


 今回は『1973年1月1・8合併号』。定価は130円。

 トレード話を2つ。

 南海・野村克也監督が、富田勝を放出し、巨人から山内新一松原明夫を獲得した。

 富田は、田淵幸一(阪神)、山本浩司(浩二。広島)とともに法政三羽烏と言われ、69年、南海に1位入団。70年は正三塁手で全試合出場を果たしたが、翌年以降の外野手転向などもあり、野村監督とはうまくいっていなかったとも言われた。

 巨人では、37歳を迎えるサード・長嶋茂雄の後釜候補として期待していた。

「(監督の)川上(川上哲治)さんは長嶋(長嶋茂雄)さんの負担を軽くするために90試合くらいしか使わないと言っているそうですが、そうすると僕の出番は40試合くらい。しかし僕としてもそんな甘い考えは持っていませんよ。長嶋さんだってフル出場の覚悟でやるでしょうから簡単にポジションを譲ってもらえるとは思わない。下手をすると全然出られないかもしれませんしね」

 対して交換で南海入りする2人、まず山内は、70年にはリリーフ中心で8勝を挙げ、防御率も1.78だったが、72年は11試合の出場のみ。松原は巨人時代未勝利の右腕だった。

 投手不足を課題と考えていた野村監督は、富田を交換要員にいくつかの球団と交渉したが、最後は巨人にこだわったようだ。

 記事では、推測としながらも、日本シリーズで感じた阪急の巨人コンプレックスもあったのでは、と書いている。

 日本シリーズをゲスト解説者として観戦した野村は、「南海を相手にやるとき阪急は、投手は自信を持ってやってくる。打者はいつでも打てるぐらいの気持ちで悠然と立っている。ところがや、日本シリーズではそのムードがまるでなかった。というかまるで逆やった。投手はおどおどしながら投げていたし、打者は首をひねりながら打席に立っている」

 巨人の控え投手とはいえ、阪急相手に効果があるのでは、と思っていたという趣旨だった。

 ロッテ金田正一新監督は、就任時から「小山(小山正明)とアルトマンの両ベテランは完全にワシの構想からは外れているんや」とクビ宣言。元の“上司”川上監督から「自分の感情だけで、選手の名前をやたら口に出してはいかん」とたしなめられていたが、宣言していたように小山を大洋の鬼頭洋安田泰一との交換で放出した。

 アルトマンに関しては「ワシ自身も巨人時代は相当な銭泥棒やった。でも、ワシの場合は名義料と思えば安いもんやった。しかしアルトマンには必要ないやろ」と言い、契約するなら年俸の大幅カットという方針だったようだが、決裂したままアルトマンは帰国。このまま退団濃厚と言われていた。

 72年12月18日、もめていたロッテの本拠地問題では大浜コミッショナーが、「フランチャイズ精神を守る意味でもロッテが東京球場を使わせてもらうのが望ましい。私が必要ならいつでも話し合いに出向いていく」と語った。

 ちなみに1973年からフランチャイズに関するルールが改正。従来1球団が一都二県、あるいは3県といった具合にまたがることも認められていたが、これからは1つとなった。これは地方試合をより多くという流れの中でのことだった。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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