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日本人メジャーの軌跡

独特のサイドスローで大活躍、シカゴファンの記憶に今でも残る男・高津臣吾/日本人メジャーの軌跡

 

現在ヤクルトを率いる高津臣吾監督は現役時代、2004年に活躍の舞台をメジャーに移した。ヤクルトの守護神がホワイトソックスと結んだのは75万ドルの1年契約。35歳という年齢のため、いい条件ではなかったが「残りの野球人生が少ないなかで、最後はアメリカに挑戦したい」という気持ちが強く、迷いはなかった。

「ボールが出てくる角度も独特だ」


メジャー1年目は変化球を駆使して打者を翻ろうした


 最初は中継ぎを務めた。デビューは4月9日のヤンキース戦。9対1とリードした9回裏に登板。最初の相手は松井秀喜だった。松井といえば1993年5月2日、高津は東京ドームでプロ初本塁打を許している。奇縁であったが、メジャーでも右翼線に二塁打を浴びた。さらにバッバ・クロスビーに2点本塁打を喫した。ところが、4月23日から6月29日まで24試合連続無失点。この間4勝、4ホールド、3セーブを挙げ、クローザーの座に就いた。

 横手投げの高津の球速は140キロ足らず。鋭い変化のシンカーや、あまりに遅すぎて球速測定不能となるフリスビーのようなカーブで打者を翻ろう。04年は59試合に登板して6勝4敗19セーブ、防御率2.31。新人王の投票ではアスレチックスのボビー・クロスビー内野手に次いで2位。ドン・クーパー投手コーチは「球速差があって、それをうまく使っていた。ボールが出てくる角度も独特だ」と、高津の強みを説明した。

 クローザーには格好いい登場曲があるが、高津の場合は銅鑼(どら)の音だった。本拠地のすぐそばには中華街があり、日本と中国を混同しているのだろうとしか思えなかった。ただ、球団史上初の日本人選手をなんとか盛り上げたいという意志が伝わり、筆者は温かく見つめていた。オジー・ギーエン監督は感性を重視した采配の指揮官で、高津は信頼感を得た。

 だが翌05年は慣れられたのか苦戦。31試合で1勝2敗8セーブ、防御率5.97と不振を極め、8月にはリリースされた。その後メッツに入団し、9試合で1勝0敗0セーブ、防御率2.35。メジャーでは2年間で99試合に登板し8勝6敗27セーブ、防御率3.38。05年にホワイトソックスは88年ぶりにワールド・シリーズを制するが「(2005年に)最後までいられなかったのが残念だった」と悔やんだ高津。それでもチャンピオンリングは手にした。

 2019年のシーズン後にヤクルトの一軍監督に就任すると、同年12月にmlb.comのスコット・マーキン記者が高津の思い出を書いていた。昨年の3月にもNBCスポーツ・シカゴが高津を特集した。メジャー生活はわずか2年間だったが、ファンの心に残る選手なのだった。

『週刊ベースボール』2021年5月17日号(5月6日発売)より

文=樋口浩一 写真=Getty Images
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