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亡き先輩に捧げた慶大の34年ぶり大学日本一「せめてもの恩返しができたと思います」

 

名参謀役として活躍


慶大は第70回全日本大学野球選手権記念大会で34年ぶり4度目の優勝を遂げた


 歓喜の大学日本一から一夜が明けた6月14日、慶大・堀井哲也監督は、亡き先輩の前で「勝ちました」と手を合わせた。

 昨年まで東京六大学野球連盟の役員(慶大の先輩理事)を務めた綿田博人氏(慶大体育研究所名誉教授)が、6月7日に死去(享年70)した。堀井監督は主将・福井章吾捕手(4年・大阪桐蔭高)らと、東京都内の斎場での告別式に参列している。

 第70回全日本大学野球選手権記念大会は、コロナ禍で史上初の中止となった昨年を経て、2年ぶりの開催だった。1952年の第1回大会優勝校・慶大は、決勝(6月13日)で福井工大を13対2で下して、34年ぶり4度目の頂点に立った。

 前回の優勝は1987年。チームを率いたのは昨年、野球殿堂入りした前田祐吉氏(監督、故人)で、指揮官を側面から支えていたのが綿田助監督だった。34年前、東北福祉大との決勝を、2失点完投勝利で胴上げ投手となった当時の3年生左腕・志村亮氏は言う。

「名参謀役として、良い指導をされ、ずっとお世話になりました。2カ月前に会いましたが、体調が優れない中でも、リーグ優勝決定(5月23日)まで頑張られていました。大学選手権まで頑張ってほしかったのですが……」

 天国へ旅立った6月7日は大学選手権開幕日。通夜は王座をかけた決勝当日(13日)だった。

 志村氏は神宮で後輩の活躍を目に焼きつけた。

「綿田さんが助監督だった以来の優勝です。これも、何かの巡り合わせ。堀井監督とも決勝後に話をさせていただきましたが、綿田さんに勝たせてもらったと思っています」

 主将・福井は現役部員を代表して言う。

「先輩理事の在任中は支援していただき、日吉グラウンド、神宮球場、キャンプではいつも笑顔で『頑張ってね』と激励の言葉をいただきました。突然の知らせに、驚きしかありませんでした。良い形で報告できて良かったです。助監督だった1987年以来ですか? 力が働いたのはあったと思う。感謝したいです」

狙うは年間タイトル4冠


 堀井監督は慶大在学中の4年間、綿田助監督から指導を受けた一人だ。思い出を語る。

「監督の前田さんは指揮官として、局面で決断を下さないといけない時がくる。私自身がいま、こうして率いる立場となって、ドライな顔を見せないといけなかった事情は、よく理解できます。当時、助監督の綿田さんには、情があった。何度も助けてもらいました」

 今春のリーグ制覇後、堀井監督は自宅療養をしていた綿田氏へV報告。東京六大学の優勝校に授与される、天皇杯を手にしてもらった。

「奥様によれば、そのときだけ、綿田さんは笑みを見せたと言うんです。先輩理事として、現場がやりやすい環境を整えてくれ、エールの言葉しか聞いたことがありません。せめてもの恩返しができたと思います」

 悲しみに暮れながらも、視線はすでに次へと向いている。綿田氏も望んでいるに違いない。堀井監督は大学選手権決勝当日も「通過点」と言った。大一番でも、やるべきプレーは変わらない。練習で鍛えた取り組みしか、試合では出ない。自然体でつかんだ大学日本一だった。そして、現状に満足することなく日々、レベルアップに努める。堀井監督は言う。

「綿田さんは大学在学中、リーグ3連覇(1971年秋〜72年秋)を経験しています。早慶6連戦(1960年秋。早大が2勝1敗で慶大と同率として、優勝決定戦へと持ち込む。2つの引き分けを経て、6試合目で早大が優勝)と、この2つが慶應では語り継がれているものです。今後は、先輩方の実績を『超えていけ!』というメッセージとしてとらえています」

「一戦必勝」の方針は変わらない。その積み重ねとして春秋連覇、そして、11月の明治神宮大会制覇を狙っていく。つまり、年間タイトル4冠だ。過去に4校(関大、近大2度、亜大、東洋大)あるが、東京六大学ではない偉業であり、新たな歴史を刻むには、これ以上のモチベーションはない。勝利に貪欲な堀井監督は明大、立大、法大(3度)、早大が経験している「リーグ戦4連覇」にも興味を示している。大学日本一の余韻に浸るのも、翌日まで。堀井監督は、決意を新たにしていた。

文=岡本朋祐 写真=田中慎一郎
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