松井稼頭央ほど派手なデビューを飾った者はいない。2004年4月6日、ブレーブスの本拠地での開幕戦。一番・遊撃で出場し、1回表のメジャー初打席で初球をセンターバックスクリーンへ叩き込んだのだ。前年21勝を挙げたブレーブスの先発右腕ラス・オティーズは、マウンド上できょとんとした表情を浮かべていた。 「まさか本塁打になるとは」
メッツ時代の松井稼頭央
松井稼は「初球から振ってやろうとは思っていたけれど、まさか本塁打になるとは。誰も想像しなかっただろう。自分でも想像できなかった。今までないくらい興奮した」と試合後にコメント。その後も二塁打2本。3打数3安打1四球だった。
西武をFAになって2003年12月にメッツと3年総額2010万ドルで契約。メジャーでは日本選手初の内野手。抜群の運動能力が高く評価され、マリナーズの
イチローや
ヤンキースの
松井秀喜の活躍もあって大きな期待を受けて入団した。前年にデビューしたホセ・
レイエスを二塁に追いやって、正遊撃手に起用されたほどだ。オープン戦では打率1割台と苦しんだが、開幕戦で首脳陣の不安を払しょくしたのだった。
だが、メジャーは甘くない。相手投手からのマークがきつくなり、成績が落ちていく。後半戦には左足を痛め、腰痛にも見舞われるなどで欠場が目立つようになった。結局1年目は114試合で打率.272、7本塁打、44打点だった。守りでは一塁手マイク・ピアザの拙守に足を引っ張られた部分もあり、ナ・リーグで2番目に多い24失策を記録した。
05年には二塁にコンバートとなった。この年も故障がちで、87試合の出場にとどまった。06年のシーズン中にはロッキーズにトレードされる。
だがロッキーズで再び輝く。07年の後半戦、一番・二塁に定着。ロッキーズはシーズン最後の15試合を14勝1敗という驚異的な成績でプレーオフ進出。地区シリーズでフィリーズを、リーグ優勝決定シリーズでダイヤモンドバックスを無敗で下し、球団史上初めてワールド・シリーズにコマを進めた。ワールド・シリーズでは西武時代の後輩、
松坂大輔がいるレッドソックスに敗れたが、ロッキーズの球団史に足跡を記した。
翌08年から3年間はアストロズに在籍。結局メジャーでは7年間で通算630試合に出場して615安打、32本塁打、211打点、102盗塁、打率.267。日本に復帰して
楽天、西武で8年間プレー。現在は西武の二軍監督を務めている。現役時代の日米での経験が、後進の指導に生きていくはずだ。
『週刊ベースボール』2021年6月7日号(5月26日発売)より
文=樋口浩一 写真=Getty Images