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プロ野球回顧録

「アベベのような態度」で――荒木大輔が“予告先発”でプロ初勝利【プロ野球回顧録】

 

「こんな緊張はなかった」


プロ初先発で初勝利を飾った荒木


 早実時代、甲子園のアイドルとして大人気になった荒木大輔。1983年、ドラフト1位でヤクルト入団後、春先までに10万通を超えるファンレターが届いたというからケタ違いだ。そのスーパールーキーの初先発に日本中が注目した。

 当時のペナントレースでは極めて珍しい「予告先発」だった。

 1983年、ヤクルト・武上四郎監督が5月18日夜、翌19日の阪神戦(神宮)におけるドラフト1位ルーキー・荒木先発を発表したのである。

 キャンプからフィーバーが続いた“大ちゃん”こと荒木は、ここまで一軍で、4度の登板を経験。いずれも新人らしからぬ落ち着きを見せ、まずまずの内容を残しているが、すべて敗戦処理的救援だった。

 球団の目論見どおり、神宮にはこの年最多となる4万7000人の観客が集まり、異様な雰囲気となったが、荒木は初先発のこの日もいつものように淡々と投げていたように見えた。

 しかし荒木は言う。

「ずっと野球をやってきて、あれほど緊張したことはなかった。早実時代、甲子園で投げたときも、あんな感じではなかったですからね」と心境を語っている。ただ、それは「初めて先発で投げるから」ではない。プロとして、「先発の自分が打たれると、チームが負けてしまう」という責任感からだった。

 表情を変えなかった理由については、こんなふうにも語った。

「東京オリンピック(64年)のマラソンでアベベ(エチオピア)という人は非常に淡々と走っていたと聞きました。僕は野球を始めてから、ずっとアベベのような態度でやっていきたいと思っていました」

 荒木は打線が看板の阪神を相手に、5回を3安打無失点。快速球があるわけではないが、高卒新人を思えぬ巧みな投球術で翻弄した。

 勝利投手の権利を手に、6回、マウンドを尾花高夫に譲る。試合は2対1でヤクルトが逃げ切り、荒木は初先発初勝利に輝いた。

「こんなに早く勝てるとは思わなかった。うれしい以外の言葉はありません」とはにかんだような笑顔を見せた。翌日のスポーツ紙は、荒木の全78球の内容まで載せる大騒ぎ。一番冷静だったのは、荒木本人だったのかもしれない。

写真=BBM
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