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週べ60周年記念

打者が手を焼くまでに成長した近鉄の太田幸司/週べ回顧1973年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

打者から「球が速過ぎるよ」の声も


表紙は巨人王貞治


 今回は『1973年3月12日号』。定価は100円。

 近鉄のキャンプ地は宮崎県の延岡市だったが、この年は、まず藤井寺からスタートし、2月20日から延岡キャンプが始まった。
 岩本監督によれば故障者を出さぬため、まずは藤井寺で基礎体力をつけ、それから暖かい延岡と仕上げというプランだった。

 キャンプ初日、フリー打撃で真っ先に登板したのがプロ4年目の太田幸司だったが、すぐ打者から「コージ、手加減せえよ」と声がかかった。

 真っすぐは伸び、カーブ、シュート、チェンジアップまで投げ込む。打席に入った佐々木恭介は、
「ちょっと速過ぎるよ。当てるのが精いっぱいだ」と苦笑い。
 2度目の首位打者を狙う永淵洋三も、
「あいつは仕上がりが早いほうだが、今年は特別早い。コントロールもよくなってきたし、今年はやれそうやね」
 と称賛する。

 前年までとの最大の違いは太田本人ではなく、周囲の記者の数。前年まではカメラマンがしつこいくらいに追いかけたが、この年は、ほぼ皆無。さすがに4年目ということもあるが、それ以上に新人・仲根正広の存在が大きい。ほぼすべての記者、カメラマンが仲根を追っていた。

 太田も、
「仲根のおかげですよ。僕がこんなにのんびりできるのは。だから自由に練習ができて、本当にありがたい」

 気楽になったと言っても、手を抜いているわけではない。むしろ自主的に投げ込んだり、ダッシュをしたり、全員のランニングで先頭に立ったりと、かなり積極的。前年までは、何か目立つことをすると、大げさに扱われるのが嫌だったらしい。

「こればっかりは経験した人でないと分かりません。朝起きて夜眠るまで、いつもだれかの視線が僕を追いかけてくる。息が詰まりそうな毎日でした。それがやっと解放された。レンズを意識しなくていいし、自由に練習できる。気が楽になりました」

 さらにシーズンに向け、
「目標はなんとしても100イニングの登板。今は10球のうち8球は思うようにいくようになりました。あとはフィニッシュに気をつけるだけです」
 と力強く語っていた。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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