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週べ60周年記念

いったん止まる巨人・沢村栄治のドロップ/週べ回顧1973年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

天下一品だった沢村の球


現役時代の沢村栄治


 今回は『1973年3月26日号』。定価は120円。

 来週発売の週べで「速球王」の特集を組むことになった(大谷巻頭特集のあとだけど)。

 当然、巨人・沢村栄治の名前は入れなきゃ、と思っていたとき、この号で「一旦止まる沢村のドロップ」という記事を見つけた。

 週ベ通算800号の記念企画への内堀保の寄稿だ。内堀は巨人草創期のキャッチャーでもある。
 以下はその文章を抜粋する。

 私が沢村栄治の球を初めて捕ったのは、昭和10年、第1回アメリカ遠征のとき秩父丸の船上だった。

 沢村と私は京都商と長崎商の違いこそあれ、同期生で、まだ17、8の中学卒新人だったから、巨人の遠征メンバーの中でもいつも一緒におり、水原さんや苅田さんといった大学出の先輩たちの前では小さくなっていた。

 そこで船上にもかかわらず、「お前ら練習しておけ」と言われると、イの一番に飛び出して、沢村の球を捕ったというわけだ。

(略)

 沢村の球は、一口に言って天下一品だった。秩父丸の船上で軽く練習するようになってから、アメリカで3Aの相手と対戦するまで、私も徐々に慣れてすっかりコンビになった。

 サインは、真っすぐとドロップとシュートの3種類だけ。配合は真っすぐが七分、あと決め球にドロップを投げる程度で、シュートはサインを出す必要もなかった。

 真っすぐの速さは、その後、江夏が速い、堀内が速いと言っても、私の目には沢村以上とは映らなかったから史上最高だと思う。それにドロップが鋭角で落差がはげしく、私の目からは1回止まって落ちるという風に見えた。二人のコンビで、日本へ帰国後ノーヒットノーランをやったり、連投で片っ端から勝ったのはいい思い出である。

 性格は職人気質というやつで、あまり無駄口はたたかなかった。あの左足を高くあげたフォーム、手首のシャープな使い方、腰のくびれた体型など思い出すと、あいつは本当に投手になるために生まれてきたやつだった、と思わざるを得ない。

 私はその後、無事生きて帰ったが、彼の最後は南方へ向かう輸送艦が台湾沖で撃沈されたと聞いた。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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