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プロ野球はみだし録

千葉7年目、日本一の7年前。1998年7月7日、ロッテ“七夕の奇跡”?【プロ野球はみだし録】

 

七夕の悲劇、悪夢の18連敗



 ロッテが川崎から現在の千葉へと移転して、創設から長く親しまれてきた愛称のオリオンズも変更、千葉ロッテマリーンズとなって7年目の1998年。千葉へ移転して、そしてマリーンズとして初の日本一を飾る7年前のことだ。その98年の7月7日。ロッテは、どん底に落ちた。

 とはいえ、川崎ラストイヤーも最下位で、千葉で心機一転を図るも最下位でスタートしたロッテ。環境こそ変わったものの、低迷期にあったのは確かだ。97年も最下位。だが、迎えた98年は開幕から好調で、5月4日までは首位。6月12日には5位まで下がったものの、首位とは5ゲーム差しか離れておらず、挽回の余地は多分にあった。しかし、翌13日から12連敗。30日には引き分けたが、7月も風向きは変わらず、黒星を重ねて、プロ野球ワーストに並ぶ16連敗となってしまう。移動日を挟んで迎えたのが7月7日のオリックス戦(GS神戸)だった。

 ロッテは先発の黒木知宏が力投、これに打線も呼応して、9回裏二死の時点で2点のリード。自身の完投勝利も連敗の脱出も見えてきた黒木は打席のプリアムも1ボール2ストライクと追い込んだ。あと1ストライク。黒木は1球だけ外して、続いて投じた139球目は速球だった。だが、プリアムの打球は左翼席へ飛び込む2ランに。黒木はマウンドに崩れる。そのまま試合は延長戦に突入したが、12回裏、代打で登場したオリックスの広永益隆がサヨナラ本塁打。これでロッテは単独ワーストの17連敗となる。そして翌8日も敗れて18連敗。その翌9日に勝って、ようやく連敗から抜け出した。

98年7月7日のオリックス戦で9回二死から同点2ランを浴びた黒木


 どん底とは、それ以上は落ちないことを意味する。7日の惜敗は“七夕の悲劇”と言われ、プロ野球ワーストの18連敗は“悪夢の18連敗”として語られるが、この悲劇と悪夢を戦い抜いたナインを見ていたのが地元ファンだった。川崎では集客にも苦しみ、千葉にも完全に定着したわけではなかったロッテに熱狂的なファンが増えたのは、この連敗からとも言われる。織姫と彦星が年に1度の逢瀬を楽しむという七夕。“七夕の悲劇”は、もしかすると“七夕の奇跡”だったのかもしれない。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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