3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 初戦は19奪三振
今回は『1973年4月9日号』。定価は100円。
全国の野球ファンからすれば、まだ見ぬ強豪と言えばいいか。
いよいよ怪物・江川卓(栃木・作新学院高)が甲子園に姿を現わした。
これも野球の神様の思惑か。
1973年3月27日、センバツ甲子園初日の第1試合が初お目見え。相手は猛打が看板の北陽高で、事実上の決勝戦とも言われた。
午前10時35分、試合開始のサイレンが甲子園にこだまする。
その余韻の中、江川のワンマンショーが始まった。
とにかく速い。1球ごとに甲子園のスタンドが沸く。初回3者連続三振から始まり、19奪三振をマークした(2対0の勝利)。
ただ、5回が終わったとき、小倉捕手がこんな声を掛けたという。
「おい、みんなが少しは打たせて、守備をさせろと言っているぞ」
江川がそれに応じたかどうかは分からないが、ここからやや奪三振ペースが落ちた。
試合後、北陽の高橋監督は、「完敗です。真っすぐを狙わせたがスピードがあり過ぎてバットに当たろうともしなかった。私の見た限りで速球よりカーブのほうがコントロールがよく攻略が難しいと思ったんですが。途中から作戦を変えたがダメだった。敗因は私にあります」 と話した。
この試合を全ナインで見ていた小倉南高は、翌日からバットをふた握り短く持って、2メートル前から投げさせて対策を練った。しかし、作新は、この試合で8対0勝利。選手たちは「あんな速い球を打てと言っても無理です。江川君と対戦しただけでいい思い出です」と話していた。
阪神の
河西俊雄スカウトは「今の江川の球を高校生に打てというほうが無理」ときっぱり。
中日のベテランスカウトは、「尾崎(
尾崎行雄。浪商から東映)もすごかった。仲根(
仲根正広。日大桜丘高─近鉄)もすごかった。この2人は高校の投手で最高に印象に残っている投手だ。しかし江川と比較すると、この2人は落ちる。江川は高校生としては戦後ナンバーワンの投手ではないか」と話した。
では、また月曜に(修正)。
<次回に続く>
写真=BBM