3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 広商野球に完敗
今回は『1973年4月16日号』。定価は120円。
センバツ甲子園の作新学院高・江川卓フィーバーがすさまじいことになっていた。
阪神甲子園駅でも作新の試合前後は大混雑となり、これまで大会期間中の開会式と日曜にしか止まらなかった特急電車が作新の試合日は、臨時停車することになった。
また、小倉南戦のあと江川が選手出口に殺到したファンにもみくちゃにされ、右足の甲を女性のハイヒールで嫌というほど踏みつけられる事件も起こった。
そのため準々決勝の今治西戦の後、茶色のレインコートを着たうえで、警官4人に囲まれ、別の出口から出て、すぐ乗用車に飛び乗る脱出劇となった。
しかし、その江川も甲子園を去る日が来た。
4月5日、準決勝の対
広島商戦、打たれた安打はわずか2本ながら広商の打者のホームベースにおおいかぶさるような構えもあってか、8四球を与えてしまい、2失点。
死球を与えることを恐れて、と当時の記事にあったが、実は違った。
試合前に雨が降ったため、報道陣から逃げるように2階の部屋で仮眠。そこで首を寝違えてしまったのだ。
「それでまったく一塁を見られないからけん制もできず、制球も乱れ8四球です。僕はそういう崩れ方をするタイプの投手ではありませんから」
とのちのインタビューで話している。
それでも江川の球はとんでもなく速く、広商・迫田監督は「ウチが点を取るまで延長18回再試合でも1点を与えるな」とゲキを飛ばした。
試合展開は、先攻の作新学院が5回に1点リードしたが、その裏、二死二塁から佃正樹のポテンヒットですぐ同点に追いつく。地方大会から続く、江川の無失点記録は139回で止まった。佃は試合後、この一打を「執念です。気合です。それしかありません」と説明した。
さらに8回裏、二死一、二塁からダブルスチール。捕手の悪送球を誘って金光興二が決勝のホームを踏む。足を絡め、隙を突く。広商野球の真骨頂とも言えるだろう。
江川は言う。
「こういう緻密な野球があるのを初めて知らされた試合でした。勉強になりました」
甲子園での奪三振は4試合で60を積み重ねていた。
また、密かにスカウトから注目されていたのが、江川の控えである
大橋康延投手だった。身長181センチの堂々たる体格の右の横手投げ、新チーム結成以来77回を投げ、防御率は0.23だった。
ただ、江川がいる以上、出番が限られる。甲子園では小倉南戦の3イニングだけだった。
それでもスカウトは、
「外角高めにホップする球が抜群。江川よりコントロールはいいようだね」
と高評価していた。
広商は決勝で横浜高校に敗れている。
では、またあした。ちなみに月曜ですが、アップしたつもりが前日の日付でやってしまい、日曜の記事に埋もれてしまいました。興味のある方はさかのぼってごらんください。
<次回に続く>
写真=BBM