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初戦敗退の雪谷を今春から率いる伊達昌司監督。“元プロ右腕”は常に部員目線に立つ指導者

 

指揮官として迎える初めての夏


右腕投手として阪神日本ハム巨人でプレーした雪谷高・伊達昌司監督は今年4月に監督就任。初めて夏の大会をベンチで指揮した


 夏の地方大会は、負ければ終わりのトーナメント。敗退校は試合後、球場外で控えメンバーを含めた全部員で最後のミーティングを行うケースが多い。そして、3年生はスタンドで応援してくれた保護者、学校関係者へ感謝の言葉を口にする。

 しかしながら、新型コロナ禍においては、こうした儀式も簡略化。感染症予防対策のため、速やかに試合会場を引き揚げなければならない取り決めがある。慌ただしい中でも、雪谷高・伊達昌司監督は駒沢球場へ足を運んでくれた卒業生などへ、手短ながらも丁ねいにあいさつ回り。律儀な人柄がにじみ出ていた。

 雪谷高は修徳高との東東京初戦(2回戦)を0対2で敗退。相手のエース・床枝魁斗(3年)はプロ注目の146キロ右腕。序盤から得点圏へ走者を送るも、あと一本が出なかった。ピッチングマシンを150キロに設定して打ち込んできたが、生で見るボールは想像以上に伸びがあったという。

「得点はできませんでしたが、生徒たちが情報収集をしたり、出塁する、走者を次の塁へ進めるなど、それぞれがやるべき役割を考えてやってくれた。大会前はこちらから指示を出す前に、生徒同士で声かけもできていました。3年生が築いたこの形を、2年生以下も継いでいってほしいと思います」(伊達監督)

 都立高校は厳しい活動制限があった。「土、日曜日も、どちらかは休みにしないといけない」と制約を挙げればキリはなかったが、どこの学校も同じこと。伊達監督は言い訳をせず、できる条件下で全力を尽くしてきた。試合は相手があることで、勝者と敗者に分かれる。勝つことはできなかったが、取り組んできたことを出し切った生徒たちの頑張りに、伊達監督の表情には一つの達成感があったように見えた。いつも、部員目線に立つ指導者だ。

 伊達監督は法政二高、法大、プリンスホテルを通じて剛速球右腕として活躍。2001年ドラフト2位で阪神に入団し、日本ハム、巨人で06年までプレーした。現役引退後は教員の道へ進むため、再び大学などで勉強を重ね、東京都の採用試験(社会科)に合格。その後、江戸川高で助監督、府中西高で助監督と部長、そして19年に赴任した雪谷高では助監督を務め、今年4月に監督に就任。指揮官として迎える、初の夏の地方大会であった。

結束力の重要性を示した3年生


 高校野球の指導者になって約10年。監督を身近でサポートする立場から、チーム運営のノウハウを学んできた。人の気持ちが分かり、先を読んで動くことができるのが、伊達監督の最大の武器である。現在の3年生は1年時の担任で、この2年4カ月を一緒に過ごしてきた思い入れのある学年だという。主将・新倉遼が63人の部員をけん引してきた。

 修徳高との1回戦では、4人の2年生が先発出場。0対2の4回から右翼手から2番手として救援した右腕・渡邊顕人(2年)は、6回を無失点に抑えた。最速142キロのストレートには力強さ、タテに鋭く変化するスライダーにもキレがあった。伊達監督は「器用なほうですが、殻を破り切れなかった。最近、伸びてきて、球速も出てきている。この感じで成長していけば楽しみ」と目を細める。元プロ投手と二人三脚で歩んできた渡邊は「スタミナをつけて、1試合を投げきる投手になりたい」と、目を輝かす。エンゼルス・大谷翔平のフォームを参考にしており、ノビシロは十分と言える。

 雪谷高は2003年夏の甲子園に出場した実績がある「都立の雄」だ。伊達監督の熱血指導を受けて、3年生は結束力の重要性を後輩たちに残した。貴重な夏を経験した2年生は先輩の思いを胸に、新チームをスタートさせる。

文=岡本朋祐 写真=BBM
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