3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 ビュフォード効果も要因
今回は『1973年5月14日号』。定価は120円。
太平洋クラブライオンズ人気がすさまじいことになっていた。
開幕戦で
ロッテ相手にサヨナラ勝ちから連勝していたこともあって、大阪球場での南海戦でも三塁側からファンが埋まり、
野村克也監督は、
「なんやうちの本拠地やいうのに、平和台でやってるような気分やで」
とぼやいていた。
4月28日の日拓戦(後楽園)でも、同じく三塁側から埋まり、しかも応援が熱狂的。のぼりや垂れ幕が登場し、高校野球のように一投一打に沸く。太平洋の選手がフライを上げれば「落ちろ、落ちろ」の大合唱だ。
日拓ファンに
「野球は静かに応援するものだ」
と怒鳴り込まれても、逆に取り囲んで静かにさせてしまったという。さらに翌29日には試合後の太平洋の宿舎にファンが押し寄せ、
「稲尾を出せ。胴上げするから」
とマネジャーに詰め寄ったというが、これはありがた迷惑か。
立役者の一人がビュフォードだ。来日時、「私はライオンズをワールドシリーズ(日本シリーズ)に出場させるためにやってきた」と宣言した大物助っ人。小柄ながら力強い打撃だけでなく、18日の近鉄戦ではホームラン性の当たりを金網最上段に登ってキャッチし、平凡なピッチャーゴロでも一塁への全力疾走を欠かさなかった。
「プロフェッショナルとしてグラウンドでハッスルプレーをするのは当然だ」
とビュフォード(修正)。オリオールズのアール・ウィーバー監督の
「オリオールズ史上、NO・1のリードオフマンをライオンズに送ります」
という言葉は本当だった。
稲尾和久監督はこの人気と好調さについて、
「勢いや。勢いに乗っているときなんてこんなもんや。ファンが後押ししてくれるから勝つんや。勝つからファンが入ってくれる。入るからまた勝つ。この繰り返しや。今後の見通しなんてあるわけない。無手勝流やからな」
そうそう開幕戦前の稲尾監督、金田監督のやり取りがあったから再録しておこう(一部以前と重複)。
稲尾監督を見た途端、カネやん。
「なんや、お前とこのユニフォーム。真っ赤な色でゴテゴテ飾って、まるでチンドン屋じゃないか」
この人の先制口撃はいつものこと。大抵、稲尾監督は細い目をさらに細くし、ニヤニヤするだけで応戦しないが、このときは違った。
「カネさん、言いたいことは今のうちの言っておけよ。そのうち口を開くのもおっくうになってしまうようにやってやるからな。1年生監督の厳しさをたっぷり味あわせてやるぜ」
思わぬ逆襲に驚いた顔のカネやんだったが、すぐ逆襲。
「なんじゃ、このグラウンド、穴だらけやないか」
これに対しても
「ロッテがエラーするように、わざと穴だらけにしておいたんや。文句があるならグラウンド貸さん」
ときっぱり。完全な稲尾ペースだ。
最後、稲尾監督が
「ところでうちは開幕投手が
加藤初(はじめ)でいくが、あんたんとこは誰や」
と言うと、
「木樽(
木樽正明)でいこう。“シーズン来る”ってとこだ。俺とこの勝ちやな」
すると稲尾監督。
「それならウチはお初(はつ)に勝とうやないか」
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM