3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 コーチも驚いた松原明夫の球
今回は『1973年5月14日号』。定価は120円。
巨人から南海に移籍した山内新一が開幕からいきなり2連勝を飾った。
と言っても開幕の日拓戦、2戦目の阪急ともリリーフで1イニング。これは
野村克也兼任監督の
「勝敗なんか関係ない。パの打者に慣れるだけでいいんや」
と言われての登板での勝利だった。
いずれも1イニング1点を取られたので防御率は9.00。新山コーチは「これで勝つなら俺でもできるかな」とひやかしていた。
本人も、
「僕の力で勝ったわけじゃない。勝利投手が僕になるなんて申し訳ないですよ。今度は完封します」
と恐縮。
巨人時代から球の力は評価されていたが、気の弱さから首脳陣の信頼を得ることができなかった男だ。
それが4月22日の太平洋戦(大阪)で有言実行の完封勝利。「監督のアドバイスだけを信じて投げたのがよかったです」と山内はほっとした表情。
野村監督はこう言ったという。
「相手はノンプロみたいなチームや。まかり間違っても打たれるようなことはない」
加えて、
「逃げたらいかれるぞ。あくまで勝利だ」
勝利のあと、山内は、
「これからも相手がノンプロのつもりで投げます」
間違いなく、野村監督に言わされた言葉だろう。
勝ち星はないが、同じく巨人から移籍の
松原明夫も好投を続けていた。キャンプでハディックス臨時コーチが、松原が巨人時代、ほとんど登板がなく、過去0勝3敗と聞いて、
「いったい巨人はなんというチームなんだ。こんないい投手にどうしてチャンスを与えなかったんだ。彼を何とか勝てる投手にしよう。そして巨人の鼻を明かしてやろう」
と言っていた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM