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平成助っ人賛歌

阪神と日本食を愛したマートン。“神様”バースを超えた“平成の安打製造機”/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

 

1年目にイチロー超えの快挙



「ボクは、東京の六本木などにある、辛くて美味しい四川料理店を呉さんに紹介したいね。遅くまでやっているし、ものすごく辛いんだよね」

 2015年発売『阪神タイガース80年史 Extra外国人列伝』(ベースボール・マガジン社)内で、メッセンジャーは「日本でナイトゲームの試合が終わったあとにご飯を食べにいこうと思ったら、飲食店がほぼ終わっていることに驚いた」と嘆く同僚クローザーに行きつけの四川料理店をすすめた。

“石直球”で知られた呉昇桓は、14年から2シーズン、阪神タイガースに在籍。メジャー・リーグでプレー後、韓国球界に復帰して今季は古巣のサムスンでリーグトップの27セーブを挙げている。先日は39歳にして東京五輪の野球韓国代表に追加招集されたことも話題に。14年の阪神助っ人陣は、この呉昇桓が最多セーブ、メッセンジャーが最多勝と最多奪三振、ゴメスが打点王、さらにマートンが首位打者を獲得。プロ野球史上初めて同一球団から4人の外国人タイトルホルダーを輩出して、史上最強カルテットとも称された。

 意外なのは“平成の安打製造機”マートンが、自身初にしてキャリア唯一の首位打者だった事実だ。10年に28歳の若さで来日。初めて関西国際空港に降り立った日、いきなり関西弁で自己紹介をして周囲を驚かせる。カブス時代の06年には打率.297、13本塁打の実績を誇りながら、異国の地でコーチと居残り特打に取り組む熱心さで、阪神でも1年目から打ちまくる。強振することなくライナーで左右に打ち分けハイペースで安打を積み重ねると、141試合目の10月3日広島戦、自身29歳の誕生日に94年のイチローが持つ年間210安打(130試合制)に並んだのだ。

来日1年目に当時のプロ野球記録となるシーズン214安打を達成


 趣味は家族と過ごすことと教会へ行くことというジョージア工科大出身の真面目な男は、日本人投手の攻めを細かくメモにとり研究。米スポーツ専門局ESPNの取材には「NPBはメジャーとマイナー最上位3Aの中間の“4A”」なんて冷静に分析するクレバーさを持っていた。10年の阪神はリーグ優勝の中日とわずか1ゲーム差の2位に泣いたが、背番号9は最終的に214安打のプロ野球記録(当時)を樹立。セ・リーグタイ記録のシーズン24度の猛打賞に加え、17本塁打、91打点、そして打率.349は来日1年目の外国人選手としては歴代最高記録だった。

 当時の虎の外野事情は、09年オフに赤星憲広が故障から33歳の若さで現役引退、金本知憲の連続フルイニング出場記録も10年4月18日に途絶えた。そのチームの転換期に中心選手として君臨したのが背番号9の助っ人である。2020年代の阪神の外野は佐藤輝明が中心になって引っ張っていくだろうが、2010年代はマット・マートンの時代だった。2年目の11年は長打を追い求め左足を大きく上げる打撃フォーム改造にチャレンジ。低反発球導入もあり4月は打率1割台に低迷したが、終盤には球団記録の30試合連続安打を放ち、180安打で2年連続の最多安打とベストナインを獲得。年俸は毎年1億円ずつ昇給するスピード出世で3億円に到達した。

食を制すものは日本野球を制す


 マートンはとにかく日本の食事が口に合った。吉野家の牛丼と醤油ラーメンが大好物で、のちにサンケイスポーツの独占インタビューでは、「振り返れば、食べ物のストレスはなかった。それは大きかった。ブラゼルも牛丼が大好きだったし、メッセンジャーもラーメンと焼き肉が大好きだった。逆に、これはダメ、あれはダメ、これしか食べられない、という選手は、日本では成功しないかもしれない。逆に、こっち(米国)に戻ってきて大変だよ(笑)」とほとんどマクドナルドしか食べなかった偏食剛腕マーク・クルーンとは対照的な、“食を制するものは日本野球を制す”持論を展開。メッセの著書『ランディ・メッセンジャー〜すべてはタイガースのために』(洋泉社)では、マートンとのこんなグルメエピソードが紹介されている。

 同じ年に阪神へ来たふたりは10年キャンプ初日、宿舎で朝食のオムレツとベーコンを口にした瞬間、唖然とする。アメリカではしっかりと熱を通すのが常識のオムレツは半熟で、ベーコンもカリカリではなくハムのようにしなっていた。「メッセ、これはいったい……」「言いたいことは分かるぞ、マートン」なんつって思わず顔を見合わせる助っ人コンビ。彼らは日本式にトライしてみる一方で、アメリカ人が好むオムレツとベーコンの調理法を控え目にやんわりとしたトーンでチームスタッフに伝え続けた。すると、ともに主力として定着した数年後、念願かなってホテルのバイキングに固いオムレツとカリカリベーコンが並ぶようになったという。ついにやったぞと手を取り合い喜ぶ男たち。野球だけでなく、チーム内の食をめぐる攻防戦にも勝ってみせたのだ。

「ノウミサン、キライ騒動」もあったが、もちろんそれは本心ではなかった(右が能見)


 愛娘も日本の病院で生まれ順風満帆の生活だったが、3年目の12年シーズンに壁にぶつかる。あまりに有名な「ノウミサン、キライ騒動」である。往年の人気テレビドラマ『愛という名のもとに』でのルビー・モレノの名言「クラタサン、イイ人ネ」とは真逆のベクトルで放つひと言。6月9日のオリックス戦(甲子園)、4回二死二塁の場面でライト前に打球が飛ぶと、右翼のマートンは緩慢な動きでランナーの生還を許してしまう。背番号9は試合後にそのプレーについて報道陣からしつこく聞かれ、不貞腐れながら「アイ ドント ライク ノウミサン。ニルイ、ドウゾ」と発言してしまう。試合後の緊急ミーティングでナインに謝ったのに、またその質問か……といういら立ちから来る暴言に、翌日のデイリースポーツには「マートン、プッツンご乱心!」の見出しが躍った。とは言ってももちろん本心ではなく、騒ぎが大きくなってしまいマートンは能見本人にひたすら謝ったという。

14年に首位打者獲得で日本シリーズ進出の原動力に


 8月17日のヤクルト戦でも守備のミスで交代を命じられ、試合後に関川浩一コーチと一触即発の激しい口論となり、クラブハウスに居残ってブラゼルと通訳も交え話し合いを行った。同年の『週刊ベースボール』統一球特集インタビューで、「ボクは日本に来て飛距離が落ちた。でもこれはボールだけじゃなく風の影響もあると思う。日本の球場は風が強い。メジャーの球場より海抜が低いし、外壁も高くないから、風の影響を受けやすいのかなと思ってるよ」なんて悩みを吐露。結局、12年は打率.260にわずか5本塁打と極度の打撃不振に陥り、その影響から度々トラブルを起こしてしまうが、ペナント終了後には首脳陣と面談をして、翌シーズンの逆襲を誓った。すると13年には打率.314、19本塁打、85打点、178安打と復調して自身3度目の最多安打を獲得。オマリー打撃コーチ補佐が就任した14年には打率.338で初の首位打者に輝き、阪神2位の原動力となると、クライマックスシリーズではリーグV3の原巨人を4連勝で下し日本シリーズ進出を決めた。

危険なタックルはたびたび問題視された


 時にホーム突入時の捕手を負傷退場に追い込む危険なタックルが問題視(度重なるラフプレーにヤクルト真中満監督が激怒)されることもあったが、そのバットコントロールは球界屈指。週べ最強助っ人特集号の選手アンケートでは、ヤクルトの上田剛史がマートンに投票し、「広角に打てるし、スキがない。どんな球でもとらえるイメージがあり、守っていて不思議な感覚になる」と絶賛している。背番号9は15年にも150安打を放つも、第1号アーチはチーム65試合目でパワー不足と4億円を超える高年俸がネックとなり、11月11日に自身の公式ホームページで阪神から来季の契約を結ばない旨を伝えられたと公表。阪神退団後は、34歳でのメジャー復帰を目指すが、夢かなわず18年1月に現役引退を表明した。

 6年間を日本で過ごし、シーズン平均170安打という驚異的な安定度を誇った平成を代表するヒットメーカー。なお、マートンのNPB通算1020安打は、あの神様バースの743安打を大きく塗り替え、球団の外国人最多安打記録である。

文=プロ野球死亡遊戯(中溝康隆) 写真=BBM
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