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斎藤雅樹、今中慎二、伊藤智仁…「日本代表の国際試合」で見たかった好投手たち

 

 東京五輪で金メダルを狙う侍ジャパン。オープニングラウンドでドミニカ共和国、メキシコに2連勝と1位でノックアウトステージに進出。2日の準々決勝・アメリカ戦はタイブレークの末に延長10回サヨナラ勝ちを飾り、準決勝では5対2で韓国を下し、決勝へ進出した。投打で各球団の主力がそろった「ドリームチーム」だが、プロ選手の五輪出場が認められるようになったのは2000年のシドニー五輪が初だった。WBCの第1回が開催されたのは06年だったため、00年より以前はプロ選手が日の丸をつけて国際試合で真剣勝負を繰り広げる機会がなかった。斎藤雅樹今中慎二伊藤智仁……1980年代後半から90年代に活躍した投手たちの全盛期に日本代表で輝く姿を見たかった野球ファンは多いのではないだろうか。

沢村賞3回受賞のサイド右腕


巨人・斎藤雅樹


・斎藤雅樹
※通算426試合登板、180勝96敗11セーブ、防御率2.77、勝率.652

 サイドスローから140キロを超える直球、キレ味鋭いスライダー、シンカーを武器に「平成の大エース」と呼ばれた。平成で唯一の2年連続20勝をマーク。89年には11試合連続完投勝利の日本記録を達成し、最多勝、最優秀防御率、平成初の沢村賞を受賞。90年も8試合連続完投勝利を挙げるなど最多勝、最優秀防御率、最高勝率、最優秀選手とタイトルを総ナメにした。外国人打者にも強く、メジャー通算256本塁打をマークし、ヤクルトで本塁打王を獲得したラリー・パリッシュに対し、打率.094(32打数3安打)、0本塁打、19三振と抑え込んだ。現役18年間で最多勝5回、最優秀防御率3回、最高勝率3回、最多奪三振1回獲得。史上4人目の沢村賞を3回受賞した。巨人で不動のエースとして活躍したが、日本代表が当時創設されていたら、間違いなく絶対的なエースだっただろう。
 

精密な制球力と緩急で打者を翻弄


中日・今中慎二


・今中慎二
※通算233試合登板、91勝69敗5セーブ、防御率3.15、勝率.569

 マウンド上で「エース」が似合う左腕だった。細身の体型でムチのようにしなる左腕から150キロ近い直球、100キロ台のカーブ、80〜90キロ台のスローカーブと3種類の球種で投球を組み立てた。精密な制球力と緩急で打者を腰砕けにし、外国人打者の間で「あんなカーブは見たことない」と話題になるほど、強烈なインパクトを与えた。1993年に17勝7敗、防御率2.20、247奪三振で最多勝利、最多奪三振、沢村賞を受賞。リーグトップの14完投で249イニングと投げまくった。巨人との「10.8決戦」で優勝を逃した94年も2年連続リーグトップの14完投で197イニング。毎年のように200イニング近く投げ続け、25歳までに87勝を積み上げたが、登板過多でその後は度重なる故障に悩まされ、30歳の若さで現役引退。全盛期に国際試合でどこまで通用するか見たい投手だった。

衝撃の高速スライダー


ヤクルト・伊藤智仁


・伊藤智仁(ヤクルト)
※通算成績127試合登板、37勝27敗25セーブ、防御率2.31、勝率.578

 直球と見間違う140キロ台の高速のスライダーは衝撃だった。右打者に当たる軌道から鋭く横滑りして、外角低めに決まる。新人の1993年に開幕からの実働3カ月で7勝2敗、防御率0.91。計1733球を投げて12試合先発で5完投4完封、109回で126奪三振と異次元の投球内容で球界を震撼させる。全国中継で大きな反響を呼んだのが、6月9日の巨人戦(石川)だ。0対0の9回二死で篠塚和典にサヨナラアーチを浴びて敗れたが、リーグタイ記録の16奪三振をマークした。だが、2年目以降は度重なる右肩痛、右ヒジ痛で1年目の輝きを最後まで取り戻せず、実働7年間で現役引退した。伊藤はアマチュア時代の92年にバルセロナ五輪で日本代表に選出され、1大会27奪三振のギネス記録を樹立するなど、銅メダル獲得に貢献している。プロで故障がなく、日本代表が創設されていれば、海外の強打者たちを驚かせる投球を見せていただろう。

写真=BBM
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