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“レジェンド”山中正竹氏が考える五輪の意義「金獲得だけでは目的を達成できたとは言えない」

 

「学び」を続ける74歳


東京五輪で金メダルに輝いた日本代表(写真=Getty Images)


 2016年に野球殿堂入りした山中正竹氏(全日本野球協会会長、侍ジャパン強化本部長)は「野球の魅力」について昨年4月、こう語った。

「野球とは人間形成の場。野球は人としての生き方を教えてくれる『人生の師』。野球は際限なく学びの機会を与えてくれる『生涯学習の場』。仲間を広げ、野球は絆を深めてくれる『友はかけがえのない財産』だと思っています。試合においてピンチをしのげば、好機が訪れる。野球を人生に置き換えれば、良いときも悪いときもある。新型コロナウイルスにより、閉塞感が漂う世の中ですが、ここで我慢すれば必ず、チャンスがくる、と」

 日本野球界におけるレジェンドである。佐伯鶴城高(大分)から法大へ進学し、通算48勝は東京六大学最多記録。住友金属では都市対抗に8年連続出場し、引退後は同社の監督として都市対抗、日本選手権優勝へ導いた。日本代表コーチとしては1988年ソウル五輪で銀メダル、監督として92年バルセロナ五輪で銅メダル。その後、母校・法大監督として大学日本一へ導き、03年からプロ野球・横浜の球団役員を歴任した。17年8月に侍ジャパン強化本部長、18年5月に全日本野球協会会長に就任。かつてはWBCの運営にも携わるなど、日本において国際野球に最も精通した人物だ。

 これだけのキャリアがあっても、立ち止まることは一切しない。4月で74歳になったが「学び」を続けている。自宅にはあふれんばかりの書籍が並び、必要であると感じた文言を書き留める。メモ帳はいつも、文字がぎっしりだ。指導者とは、卒業生(山中氏は教え子と言うのを嫌う)の成長を喜ぶものであるが、山中氏は「オレはいつまでも、負けないよ」と、向上心を持ち続けていた。

侍ジャパン強化本部長・山中正竹氏(全日本野球協会会長)は1992年のバルセロナ五輪で、日本代表監督として銅メダルを獲得。東京五輪での金メダル獲得を願っていた一人だ(写真=BBM)


 そんな山中氏が唯一、認めた男がいる。日本代表・稲葉篤紀監督である。法大では4年時の1年間を指導した師弟関係。2017年からは5年間、強化本部長として接してきた。

 19年のプレミア12で優勝を遂げた段階で、「金メダル」への確かな手応えを得ていた。昨年4月、五輪延期を受けてこう語っていた。

「五輪は参加6チームであり、また、違ったプレッシャーもかかってくるため、思い描いたとおりにはいかないと思います。とはいえ、稲葉監督以下、侍ジャパンにはその難関を乗り越えるだけの資質がある。監督を支えるコーチングスタッフは、指揮官の思いを十分に体現でき、選手をリスペクト。選手も首脳陣を尊敬し、チームのために動ける理想的な組織ができています。私の知り得る限りでは、日本代表として最もふさわしい、完成度の高い集団であると言えます」

 さらに、こう続けていた。

「稲葉監督以下、本当の意味でのスポーツマンシップが醸成されたチームでした。侍ジャパンに選ばれたプレーヤーは、誇りを持っている。ファンの期待に応えようとする、自覚と責任が備わっている。目標へと、一つに向かう挑戦心を秘めている。彼らの行動、発言には、周囲を納得させるだけのインティグリティ(誠実、真摯、高潔)がある」

次世代へ野球をつなぐ責務


 8月7日、横浜スタジアム。アメリカとの決勝を2対0で下し、金メダルを獲得した。日本代表に求められていたのは、何だったのか。

 08年以来の五輪開催。山中氏が監督として率いた92年のバルセロナ五輪で正式競技になって以降、初の金メダルである。山中氏は結果だけではない「意義」を求めていた。

「金メダル獲得だけでは、その目的を達成できたとは言えません。高い技術に加え、人間的にも魅力あるチームでないと、後には続かない。つまり、子どもたちがあこがれる野球の普及、新興にはつながりません。今回の侍ジャパンには、次世代へ野球をつなぐ責務があります。それが東京五輪における野球の最大の価値であり、レガシーであると思います」

日本代表が残したもの。一人ひとりが役割に徹する姿から、学ぶべきことは多かった。野球とは、人生を教えてくれる。次世代に継ぐ、東京五輪になったに違いない。

文=岡本朋祐
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