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高橋由伸、前田智徳、鈴木尚典…90年代にセ・リーグで活躍した左の「天才打者」たち

 

 当時オリックスイチローがパ・リーグで1994年から6年連続首位打者を獲得した時代に、イチローと同じ左打者で「天才打者」と称された3選手がセ・リーグにいた。巨人高橋由伸広島前田智徳、横浜(現DeNA)・鈴木尚典だ。鈴木は97、98年と2年連続首位打者を獲得したが、高橋と前田は打撃タイトルと縁がなかった。だが、難しい球をいとも簡単にヒットゾーンにはじき返す3選手の美しい打撃は、読者の脳裏に深く刻まれているだろう。

長嶋監督が「21世紀のスター」と称賛


巨人・高橋由伸


・高橋由伸(巨人)
通算1819試合出場、打率.291、321本塁打、986打点、29盗塁

松井秀喜を超える打撃センス」と一目置かれたのが高橋だ。当時の長嶋茂雄監督が「21世紀のスター」と絶賛した素材は1年目の1998年に打率.300、19本塁打でレギュラーに定着するとその後も松井秀喜、清原和博とクリーンアップを結成し、7年目の2004年に通算1000安打に到達。史上8位のハイペースだった。右足を高々と上げる打法で体の軸がブレず、緩急にも下半身の粘りで対応する。すべての球種、コースに合わせて完ぺきなタイミングでジャスミートするため、好調時は投手が投げる球がなかった。

 一番打者として起用された07年は長打狙いに加えて出塁も意識したスタイルで打率.308、35本塁打、88打点をマーク。右翼の守備でもNPB記録の入団1年目から6年連続でゴールデン・グラブ賞獲得したが、全力プレーの代償として長期の戦線離脱を繰り返したことが選手寿命を縮めた。05年以降規定打席に到達したのは07年の一度のみ。特に腰痛が深刻で09年は手術を受けたため、わずか1試合出場にとどまった。

 故障を抱えてスタメンを外れる機会が多くなったが、打撃センスは健在だった。15年は77試合の出場で打率.278、5本塁打。代打打率.395と抜群の勝負強さで代打の切り札として起用されていた。シーズン終盤に翌年も現役続行へ意欲を示していたが、原辰徳監督が15年限りで退任する意向を示して球団から監督就任要請を打診されたため受諾した。通算1753安打は球団史上歴代7位だが、2000本に届いていない。打撃タイトルを獲得したことが一度もないことが、不思議に感じるほどの天才打者だった。

ストイックな「打撃の求道者」


広島・前田智徳


・前田智徳(広島)
通算2188試合出場、打率.302、295本塁打、1112打点、68盗塁

 前人未到の3度の三冠王を獲得した落合博満が「理想の打撃フォーム」と認めたのが前田だった。喜怒哀楽を表さず、本塁打を打っても無表情のままダイヤモンドを一周する。打席で醸し出す雰囲気は明らかに異質だった。その野球人生は故障との闘いだった。攻守走3拍子そろったプレースタイルで1992年から3年連続打率3割をマークするが、95年に野球人生を大きく変える試練に襲われる。5月23日のヤクルト戦(神宮)で二ゴロを打った際、一塁への走塁時に右アキレス腱を断裂。選手生命の危機に陥る大ケガでその後のプレーにも影響を及ぼすようになった。

 万全な状態でグラウンドに立てることは少なく、プレー中に足を気にする素振りも多々見られた。だが、その後も打率3割を8度マークするなど輝き続ける。2000年にシーズン途中で左アキレス腱の状態が悪化し、7月に腱鞘滑膜切除手術を受けたため79試合出場にとどまり、翌01年も27試合出場のみだったが、02年に打率.308、20本塁打でカムバック賞を受賞。05年は12年ぶりの全146試合先発出場で打率.319、32本塁打、87打点で自己最多の172安打を放った。07年に2000安打を達成すると、晩年は代打の切り札を務めて通算2119安打をマーク。ストイックに努力を積み重ねる「打撃の求道者」だった。

ハマの安打製造機


横浜・鈴木尚典


・鈴木尚典(横浜)
通算1517試合出場、打率.303、146本塁打、700打点、62盗塁

 懐の深い打撃フォームから内角をさばく打撃技術は超一級品だった。横浜高では入学直後から四番を打ち、通算39本塁打をマーク。横浜大洋(現DeNA)に入団すると、1996年に初めて規定打席に到達し、打率.299、13本塁打、62打点をマーク。ここから覚醒する。97年に打率.335、21本塁打、83打点で首位打者を獲得すると、98年に打率.337、16本塁打、87打点で2年連続首位打者に。破壊力抜群の「マシンガン打線」の三番打者として、38年ぶりのリーグ優勝に貢献。西武との日本シリーズでも25打数12安打、打率.480と打ちまくり、日本一とシリーズMVPを獲得した。

 その後も「ハマの安打製造機」の異名で広角に安打を打ち続けていたが、本塁打を量産する打撃スタイルに変えようとしたことで徐々にバランスを崩していく。外野の守備で肩にも難があったことから、04年以降は出場機会を減らして代打要員に。プロ18年間で通算1456安打は高橋と同様に少なく感じてしまう。横浜ファンのみならず、プロ野球ファンに強烈なインパクトを与えたヒットメーカーだった。

写真=BBM
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