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2021夏の甲子園

「最後の1イニングは楽しい時間だった」敗戦も監督が求める「結束力」を体現した二松学舎大付【2021夏の甲子園】

 

「エースの責任で頑張ってくれた」


二松学舎大付の左腕・秋山正雲(3年)は京都国際との3回戦(8月24日)で敗退(4対6)。試合後は「プロ志望」を表明した


■8月24日 3回戦
京都国際6−4二松学舎大付

 現役時代、同じエースで左腕だったからこそ、秋山正雲の気持ちがよく分かった。

 母校・二松学舎大付(東東京)を率いる市原勝人監督は1982年春のセンバツ準優勝投手。準決勝まで4試合を一人で投げ抜いたが、PL学園(大阪)との決勝では、先発するも途中降板。リリーフした3投手も踏ん張れず、惜しくも紫紺の大旗を逃した(2対15)。

「この甲子園は、秋山に連れてきてもらった」(市原監督)

 秋山は西日本短大付(福岡)との2回戦で4安打完封勝利(2対0)。二松学舎大付の投手が甲子園でシャットアウトするのは、82年春の1回戦(対長野、3対0)以来。つまり、市原監督に続いて39年ぶり2人目と、同校野球部の歴史に足跡を残したのである。

 夏の甲子園で同校初のベスト8進出をかけた京都国際との3回戦。二松学舎大付は初回に1点を先制も、秋山は中盤に3本塁打を浴びて計4失点で逆転を許す(4対1)。しかしながら、ここで簡単に崩れるエースではない。

「疲れていたとは思いますが、エースの責任で頑張ってくれた。肉体的な疲労を上回る気力が出ていた」(市原監督)

 秋山の「気力」が奇跡を呼ぶ。3点を追う二松学舎大付は9回裏一死二、三塁から櫻井虎太郎(3年)の同点3ランが飛び出した。

 しかし、延長に入った10回表、秋山は踏ん張ることができず2失点。172球の力投も報われなかった。試合中、一塁ベンチの市原監督は、動こうとしなかった。アクシデントがない限り、投手交代は考えていなかったという。

「最後は秋山で終わりたかった。最後まで秋山、と思っていました」

 選手の健康管理を第一としながらも、投手心理を理解する市原監督は、秋山の「気力」を最大限、尊重したのである。

 惜しくも準々決勝進出を逃したものの、市原監督は「この1年間を凝縮したような試合。最後の1イニングは、楽しい時間だった」と優しい顔で語った。9回裏、櫻井の同点3ランの場面は「想像していたシーンが目の前に来たので、夢なのか、現実なのか……。あの本塁打で気持ちが一つになった」と振り返る。

「次は失敗しないように」


 市原監督は夏を前にしても、チームの成熟度に、物足りなさを感じていた。大黒柱の秋山、主将・関遼輔(3年)、五番・三塁の浅野雄志(3年)と中心選手がけん引する構図だったが、全体的としては「優しい子が多い。遠慮がちで、周りがついていく感じ。全員でやっているチームに見えづらかった」と回顧する。

 東東京大会で6試合を勝ち上がり、甲子園で初戦突破。そして、この3回戦で指揮官が求めていた「結束力」を体現したのである。だが、粘りも、勝利へと結びつけることはできなかった。秋山は試合後に「甲子園で優勝したかったです」と悔しさをにじませた。

 二松学舎大付は夏の甲子園に初出場した2014年以降、17、18、そして今夏といずれも3回戦敗退。初戦となった2回戦を突破するも、2試合目で涙を流す展開が続いている。

「ここからがスタートだ! とは言い続けてきましたが、一つ勝ったところでホッとするところがあったかもしれない。本当の意味で『優勝を狙うんだ!!』という部分では違うような気がする。一つ勝った後の難しさ。次は失敗しないように頑張ります」(市原監督)

 秋山が見せた勝利への執念に、後輩たちは何を感じたか。二松学舎大付はワンランク上のステージを目指す取り組みに着手していく。

文=岡本朋祐 写真=石井愛子
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