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日本人メジャーの軌跡

8年間でメジャー通算56勝の松坂大輔。3年目からは故障の連続/日本人メジャーの軌跡

 

メジャー1年目の2007年、レッドソックスで先発投手陣の一員としていきなりワールド・シリーズ制覇を果たした松坂大輔。08年は東京ドームでの開幕戦に先発。野茂英雄に続き日本人選手2人目の開幕投手となった。この年、与四球94はリーグ最多だったが18勝3敗、防御率2.90でサイ・ヤング賞の投票では4位に入った。日本で栄光に包まれてきた松坂は、アメリカでも快調だったのだが……。

11年は6月にトミー・ジョン手術


2013年途中からメッツでプレーした


 2009年以降、松坂は相次ぐ故障に悩むことになる。肩などを痛めて登板は12試合で、4勝6敗、防御率5.76だった。10年は背中や首の張りのため、開幕時には故障者リスト入りもした。11年は6月にトミー・ジョン手術を受けた。

 12年の6月に復帰。だが7月には右僧帽筋を痛めて故障者リストに。この年はレッドソックスとの6年契約の最終年。復帰を焦ったのではないかとの見方があった。そうかもしれない。結局11試合の登板で1勝7敗、防御率8.28という不本意な成績でレッドソックスとの契約を終えた。

 FAになるも、故障の多い投手にいい話は来ない。13年2月にインディアンスとマイナー契約を結んだ。インディアンスの指揮官はレッドソックス時代の恩師、テリー・フランコーナ監督であった。チャンスをもらった松坂だが、メジャー昇格はならず。8月に自由契約となり、メッツと契約。7試合に登板して3勝3敗、防御率4.42だった。14年は開幕マイナーからメジャーに昇格し、主に中継ぎで3勝3敗、防御率3.89。これでアメリカ生活を終えたのだった。

 ジャイロボールという魔球を操るとまで言われ、文字どおり鳴り物入りでアメリカにやってきた。そんな魔球はなかったわけだが、レッドソックスの先発ローテーションを務めた。メジャーでは8年間で56勝43敗、防御率4.45だった。最初の2年間で計33勝。だが後半の6年では計23勝だった。

 後半は体がぼろぼろだった。日本時代からの疲労が蓄積したのか。滑るボール、硬いマウンド、中4日の登板間隔など、メジャー流が負担になったのか。おそらくすべてが影響したのだろう。

 帰国してからソフトバンク中日を経て昨季からは古巣の西武。結局西武では一軍登板はならず。今年7月7日、西武は松坂の今季限りでの引退を発表した。山あり谷ありだった野球選手としての旅を終えようとしている。

『週刊ベースボール』2021年8月2日号(7月21日発売)より

文=樋口浩一 写真=Getty Images
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