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よみがえる1990年代のプロ野球

1991年、近鉄×西武の大激闘、野茂英雄もリリーフ登板/よみがえる1990年代のプロ野球

 

 好評いただいている『よみがえる1990年代のプロ野球』シリーズ。8月31日発売の第8弾は西武が2年連続日本一に輝いた1991年だ。

 ここではその中に掲載した記事の中から、パで終盤まで熾烈な覇権争いを繰り広げた西武と近鉄の戦い模様を抜粋し、紹介する。
敗れた近鉄目線でシーズンの記事である。

野茂のリリーフ登板


表紙


 開幕8連勝を決め、早々に独走態勢かと思われたのが、前年の王者・西武だ。5月23日には2位・近鉄に9.5ゲーム差をつけている。

 近鉄は、左腕エースの阿波野秀幸ら故障者が相次ぎ、開幕から連勝あり連敗ありの不安定な戦いが続いていた。それでも6月6日からの5連勝と、9日からの西武が3連敗もあって一気に差を縮め、14日からの西武との3連戦(ナゴヤ)は、5.5ゲーム差で迎えることになった。

 まず、初戦は渡辺久信を打ち崩し、二番手の新人・佐野重樹の好投、ベテラン・新井宏昌の2ランもあって4対3と逆転勝ち。3回には西武のデストラーデが、完全にアウトのタイミングでホームに突進。捕手の光山英和にヒジ打ちを食らわすラフプレーで両軍入り乱れる大乱闘もあった。

 続く2戦目は野茂英雄の13奪三振完投(3対1)で連勝。さらに、第3戦も2対1とリードした9回表、守護神・赤堀元之がライナーを受け、右手人差し指骨折で交代も、広島から移籍したばかりの清川栄治が踏ん張って3連勝、西武との差を一気に2.5ゲームとした。 

 近鉄・仰木彬監督は、「3タテを食らうのが、監督は一番きついんや。どこかで西武にやったろうと思っていた」とニヤリと笑った。

 近鉄の勢いは止まらず、7月13日には、ついに西武とゲーム差なしの首位。1日で陥落したが、続く16、17日の直接対決2連戦(西武)をゲーム差1で迎えた。
 ただし、近鉄は阿波野、赤堀を欠く投手陣に加え、打線も石井浩郎に続き、ブライアントが左ヒザ半月板損傷で7月6日に帰国と満身創痍になっていた。

 ここで仰木監督は準備していた秘策を実行に移す。
16日の試合、2対2の6回裏、マウンドに上がったのが、この年、初のリリーフ登板の野茂。気迫あふれるピッチングで4イニングを抑え込み、味方の逆転で勝利投手となった。

 仰木監督は「いつかやってみたかったんだ。10月になってこれくらいの位置にいたときのテストだよ」とニヤリ。これで、またも同率首位となる。

 続く17日の試合も熱闘となったが、9回裏、2対1とリードした場面で再びマウンドに上がったのが野茂だ。仰木監督には連投の迷いがあったようだが、ブルペンから「野茂の球がうなりを上げています」と連絡があり、決断した。

 野茂は野茂キラーとも言われていた先頭の辻発彦にライト前ヒットを許すも、以後を抑えプロ初セーブ。西武は前年から数え、452日ぶりに首位転落となる。

西武にマジック点灯


9月22日の西武球場。外野も満員だった


 以後、抜きつ抜かれつの展開が続き、迎えた8月20日からの3連戦(藤井寺)。今度は近鉄が首位として2位の西武を迎え、初戦に勝利。翌21日の雨天中止を挟み、22日は近鉄キラー、郭泰源に1失点完投を許し、3対1と敗れた。

 最大の天王山と言われたのが、近鉄が1.5ゲーム差で首位となっていた9月6日からの藤井寺3連戦だ。この年、両者の対決は10勝10敗とまったくの五分だった。

 初戦は0対0で迎えた7回表、近鉄先発・高柳出己の92球、高めに外れたボール球をデストラーデがバックスクリーンにたたき込む特大の2ラン。打線は郭の前に沈黙。完封を許し、対郭のシーズン6敗目を喫した。2厘差ながら抜かれ、首位も陥落だ。

 2戦目、西武先発は右の石井丈裕とみられていたが、ふたを開けたら左腕で肩とヒジの痛みを抱えていた工藤公康だった。工藤は6回を投げ、2失点。秋山幸二の決勝アーチもあって西武が連勝を飾った。

 迎えた9月8日、13連戦の最後でもあり、近鉄は疲労の蓄積と敗戦後の気分転換を考え、試合前練習なしで挑んだ。試合は野茂が好投で3対1のまま進んだが、8回、代打・森博幸に逆転3ランを打たれ、敗戦。西武はマジック17を点灯させた。

終戦はまた川崎球場


辞任のうわさもあった仰木監督は留任。巻き返しを誓った


 9月21日からは最後直接対決となる3連戦(西武)。首位西武との差は2ゲームで西武のマジックは消えていた。21日の近鉄の先発は野茂だったが、気負いもあったか攻略され、1対8の大敗。西武はマジック10を再点灯させた。それでも続く22日には小野和義の力投もあって3対2の勝利。
「簡単には死ねん。またあすや」と仰木監督は気合を入れ直した。

 迎えた23日も近鉄が5対3とリードしたが、9回裏、西武の鈴木健がプロ初本塁打となる同点2ラン。そのまま手痛い5対5のドローとなった。

 近鉄のミラクル快進撃の終焉は、88年V逸となった「10・19」の舞台、川崎球場だった。
 9月27日、川崎球場でのロッテ戦。近鉄は残り7試合に全勝すれば、西武は残り10試合で7勝3敗が必要になる、まさにクビの皮1枚のサドンデスマッチのスタートだったが、いきなり初戦でつまずく。

 近鉄先発の野茂は5回に1点を失ったが、6回にトレーバーの2ランで逆転。しかしその裏、高沢秀昭の不運なランニング弾で追いつかれた。台風19号の影響で35分の中断もあって9回打ち切りとなった試合は、2対2のドロー。優勝が遠くなったことで選手の気持ちが切れてしまったのかもしれない。続く2試合は完敗だった。

 西武は10月3日、日本ハムに勝利し(西武)、6試合を残し、優勝を決めている。
週刊ベースボール編集部

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